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呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業107周年。掲示とエッセイ

訪城記2018.11⑥+α

1.沼の平楯(西川町)  今月11日初訪。
  近くの要害森楯とは本城・支城の関係。こちらが本城。
  城主は東海林隼人之佐(しょうじはやとのすけ)。白鳥十郎長久の与力だが、後に最上義光の降臣となる。
  主曲輪(本丸)まで行った。大規模ではないが、明瞭に残る二重堀切、土橋、土塁、遺構が素晴らしい。
  入口さがしに難儀。藪無し。

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↑左の主郭土塁に接するW型空堀。写真ではW感が不明瞭なのが残念。

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↑二重空堀から土橋を渡り、単純虎口(多分大手)から主郭へ入るところ。

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↑主郭内部から入ってきた虎口を振り返る。主郭内は見事に削平されている。
 主郭は高さ1Mほどの土塁で見事に囲まれている。

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↑縄張図。赤矢印のように進入した。


2.大江広元公墓所(鎌倉市西御門)  〃18日初訪。城楯ではなく史跡だが。
  皆様ご存知、寒河江荘の初代地頭である。鎌倉幕府の重鎮かつ大功労者で頼朝さんから荘を賜った人。
  その超有名人頼朝さんの墓所の近くだった。
  急な石段を上り詰めたうんと狭い場所に、なぜか島津忠久公、北条義時公と、三窟ぎっしり並んでおり、
  (窟内にどれも五輪塔)島津さんのみ判別できたが、どちらが大江公なのか、北条さんなのかわからずじまい。
  あそこまで行ったのに、とても悔しかった。

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そして先月9日になるが
3.赤坂見附と弁慶掘(東京都千代田区)
  やはり江戸城は日の本一の城だ。広さと構築物の壮大さに舌を巻く。
  特に見附の石垣の巨大さには驚くしかない。東京で過ごした学生時代、私は一体何をしていたのか。

IMG_20181009_073645_resized_20181120_060647744.jpg   IMG_20181009_073242_resized_20181120_060648580.jpg

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以上。
初雪はここらはまだだが、月山はとうに白くなった。
今年の城楯巡りもそろそろシーズンオフを迎えようとしている。



  1. 2018/11/20(火) 11:28:58|
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訪城記2018.11⑤

11月11日(日)、入間館(いりまたて)で見学も腹ごしらえも済ませると(城楯見学現場で腹ごしらえは初体験)、この日の主目的地に向かう。
同じ西川町の岩根沢地区にある「沼の平楯」(主城)と「要害森楯」(その支城)である。
いずれも初訪。
まずは要害森楯から。

山奥とはいえ、舗装道路から即登り始められるので、アクセスは極上といえる。
登り口に縄張り図の案内板がある。親切だ。

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かわいい楯のようだ。Cの畝状縦堀が視認できれば面白いが。

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重機を用い、結構な幅で砕石を撒き、樹脂製の階段兼土留めが設置されている。
こんな親切な山奥の楯跡はまずない。

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↑主郭目前。桝形虎口は明瞭でなかった。

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主郭。登り始めてから数分で着いてしまった。楽勝だ。
決して広くはないが、ある程度の居住性は確保できそう。常駐物見台とか兵器庫とか。

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主郭から北方の眺め。素晴らしく雄大だ。雲の向こうは月山か庄内か。

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↑主郭から北側の腰郭を見下ろす。
そしてこれ↓が要害森最大の見ものです皆さん!

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草藪が伸びているとはいえ、長さ10数メートル、深さ2メートルといわれる十数条もの畝状縦堀。
主郭から落差2、3メートルの切岸のすぐ先にこの光景。
攻守とも相手が間近に見え、相当なプレッシャーと想像するが、物理的心理的に物凄いディフェンスである。
これはすごい!

紹介順序が逆になるが、この瞠目すべき楯の主は、この辺の国人領主であり、主城沼の平城々主、
そして彼の白鳥(しろとり)十郎長久の家臣、東海林(しょうじ)隼人佐(はやとのすけ)の弟、東海林昌種とのこと。

行って良かった。さ、続いて3、4キロ離れた主城へ向かう。


  1. 2018/11/15(木) 22:12:04|
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訪城記2018.11④

11月11日(日)。また好天。
お隣西川町の入間(いりま)地区、入間館(たて)を初訪。その全景。↓

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今は個人宅兼蕎麦屋さんだ。訪問したついでに食べたが、とても美味しかった。

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立派な門柱の表札を拝見すると、「入間(いりま)」さんとおっしゃるようだ。

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↑駐車場には「大江寒河江城入間館跡」とのやや微妙な文言が。

さてこの入間館。寒河江大江氏二代目の親廣公が承久の乱で敗れ、宗家を頼って都からこちらに逃れてきたわけだが、
その時に従ってきたきた家臣の一人がここに落ち着き、館主となった佐藤基春といわれている。
そして今ここに住んでおられる方がその末裔とも見聞きしたことがある。

「佐藤」さんがいつ、なぜ「入間(いりま)」さんになったのか、浅学の小生は知らないが、
入間姓の起源を少々調べてみると、その始祖が源頼朝から武蔵国入間(いるま)荘を所領に賜ったからとか。

食後、このお宅様を外から一回り拝見したが、私がいつも見慣れている防御または攻撃用構築物は皆無に見えた。
が、寒河江市史をみると、現状でも堀、石垣、門などが確認できるという。
きっと、無学素人の目ではわからないのだろう。
また、この館の背後の山には、詰め城らしい楯遺構があるのだそうだ。

ともかく、八百年も前に遠方から移住してきた人の子孫が今も同じ所に住んでいるのなら、稀にみる事例なのではないか。
基春さんの主君大江さんは四百数十年前に滅び、滅ぼした最上さんも四百年前に改易となり・・・
もっと言えば、畏くもわが皇室でさえ居は転々とされているのだから。

わが郷土は歴史に満ち溢れている。




  1. 2018/11/14(水) 20:41:53|
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訪城記2018.11③

家から数キロ。寒河江市三泉地区、雲河原(くもがわら)集落と入倉(にゅうぐら)集落の間にある小泉楯跡。
初訪。↓この写真左側、小さな方の林がそれだ。

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近づいても小さい。↓小さな盛り上がりの上に祠などがある。

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楯主の小泉時干(ときゆき)は柴橋楯主の柴橋直干(なおゆき)の子と聞いている。
時干は他の大江氏たちと共に漆川(現大江町本郷)で伊達稙宗(たねむね)軍と戦い、討ち死にしてしまった。
この楯も彼一代で使われなくなってしまったのだろうか。

それにしても地面の盛り上がり部分だけを見ると、小屋がひと棟建つかというくらい面積の小さな「跡」である。
堀跡や土塁なども360度見回しても見当たらない。
だが・・・
この楯跡に隣接する、最初の写真右側の大きな森の方を見ると・・・
休耕地のような所に、廻りよりも高く作られた一筋の小径がある。↓

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↑そして道の先にはやはり周りの田畑よりも高く、いかにも方形居館のような場所がある。

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神社だ。直径10mほどの「小泉楯跡」とは比較にならないほど広い。

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「長者屋敷」との案内板がある。当然、こういう周りも含めての小泉楯だったのではないか。
Here,there,and everywhere. 郷土は、至る所にぎっしりと歴史が詰まっている。







  1. 2018/11/11(日) 20:54:11|
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ドームと靖国

11月1日(木)。

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ドーム(ポール)三度目。靖国二度目。




  1. 2018/11/08(木) 19:38:40|
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訪城記2018.11②

1.山形城二の丸北縁土塁
  11月4日(日)午後。また山形城に行った。
  前日午前に、二の丸北縁の「屏風折れ土塁」発掘調査現地説明会があったのだが、仕事を抜け出すことが出来なかった。
  大石田駒籠楯、天童古城主郭、なんと三週連続で土曜開催の説明会に参加できず、三週連続の翌日現地個人訪問となった。
  やれやれ。意地悪をされているようだ。

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  ただ、最上改易後の鳥居時代の造作ということで、うんと強い興味はない。
  それにしても山形城はさすがに天下の大城だ。来るたびに舌を巻く。
  天童も寒河江もこれでは敵いっこない。


2.南館(山形市)
  城・楯の書籍による勉強と現地見学をするようになってから、ずっと気になっていた所だ。
  子供の頃から「山形市南館」という地名は知っていた。
  だがそれは、「寒河江市本町」などのようにただの記号としか捉えていなかった。
  だがここ数年、違う目で地名を見るようになると、「南館」は実に特殊である。
  山形城の南に「南館」。初めて訪れたが「ビンゴ!」だった。あったあった!

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現在は住宅地となり神社などが建っているが、楯跡であることを示す立派な案内板もあった。

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直線また直線の新興住宅地に、異質な曲線の道割り。ドンピシャリ。
一周歩いたが、はっきりした遺構は見当たらないものの居館の環濠位置を少しは想像できた。

またここは羽州街道と小滝街道が到達する、山形の南の入口という要衝だ。
さぞ重要な出城・支城・番所の役目を担っていたと思われる。

このように、地名とは無視できぬもの。次は山形市「荒楯」と「花楯」を調べてみようと思う。
「荒楯」は「新楯」、「花楯」は「鼻(端)楯」の可能性は無いだろうか。
ダメ元でも楽しいのである。



  1. 2018/11/06(火) 20:22:17|
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訪城記2018.11①

1.安中坊阿弥陀堂(西川町吉川)
  11月3日(土:文化の日)午後、友人を一人付き合わせて初訪。
  寒河江大江家代々の拠点と言えば私は長い間寒河江城しか知らなかった。
  最も長く使われ、しかも大規模だから、寒河江城を真っ先に思い浮かべるのは間違いではない。
  が、この安中坊も長い間寒河江大江氏の拠点だったのだ。つい2、3年前まで存在すら知らなかった。
  ここは吉川の集落に隣接し、今は広い空き地になっている。

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  平地によくある方形居館のようだ。だだっ広い敷地に石の祠がポツンと一つ。

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↑方形の北辺。ここの他、土塁らしい盛り上がりが何カ所か視認できた。
が、四方いずれもドキドキするような防御性はない。単なる居館だったのではないか。
発掘調査もとっくに済んでいるということで、結果報告書に目を通してみたい。

さてその安中坊の東北方100mかそこらの近くに阿弥陀堂がある。

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大江家の廟所がこんな所に。
相当数の墓石が規則正しく立ち並んでいるが、彫り込みは摩滅し、石は風化して損じ、或いは傾き、中には倒れているものもあり・・・

町指定の文化財ではあるが、理想的に保全されているとは言い難い。
日の本一流の名家の廟所が痛々しく荒廃しているのを見ると、「歴史は勝者のものなのだなあ」とつくづく思う。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

寒河江大江家の400年間の拠点重要度まとめ。
1.寒河江城
2.安中坊
3.本楯
4.富沢楯
の順かと思う。素人所見だが。
拠点は移ろったのだ。そういえば伊達や上杉もそうだった。



  
  1. 2018/11/06(火) 14:29:49|
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訪城記2018.10

好天の10月最後の日曜、貪欲に歩き回る。

1.東根市蟹沢城
  初訪問。ほぼ平城。水堀は固より、空堀も見えない。
  城域西側の、切岸にも見える崖以外に目立った遺構は何も無いが、道割りなど匂いはぷんぷんする。
  斯波(最上)さん二代目満直さんの五男氏直さんが初代城主。かな?私の知識に自信はない。

2.天童古城主郭・南郭・北郭
  ご存知東北屈指の巨大山城。主郭三度目。南・北郭は初。
  昨日催された第二次発掘調査現地説明会に参加できなかった悔しさで登城。
  先週の大石田駒籠楯と同パターンである。
  
  中央郭(人間将棋をする所)を利用した大駐車場から10分くらいでちょろく到着。
  昨年より大規模に掘られたような今回の発掘部分は、当然ブルーシートで覆われていた。
  ロープ内には立ち入らないのが常識。傍から見るだけ。
  
  トレンチの横には当然掘った土の山があるわけだが、少量ながら黒い土の塊を発見。
  これが1584年の戦闘時の、有名な主郭建物焼失の痕跡か。 

  さて今回は欲張って南郭と北郭にも足を延ばす。
  いずれも「執念」とか「ハリネズミ」という言葉を想起する、見事な帯曲輪の塊だった。
  しかしこの巨大山城、徹底して横堀・竪堀・土塁がない。曲輪曲輪また曲輪である。
  伊達さんや最上さんとは城造りの考え方がまた違うようだ。

  初代城主はなんと蟹沢と同じく斯波満直さんの三男、頼直さん(だったかな)。天童氏を名乗る。
  それから200年(かどうか)も経って、頼久さんの時に本家筋から攻められ落城する。
  同族とはいえ世の中は得てしてこういうことが起こりがち。わが大江氏も例外ではない。


3.山形市飯田館
  小規模な丘城。山型市街に接している。入口から1分で登れる。時間をかけて周囲も歩いてみた。
  小さいなりに見事な帯曲輪が多数造られていたが、空堀や土塁は見当たらなかった。
  また、背後の山地と繋がる尾根は比較的細く、容易に堀切を作れる(防衛遮断)と思えるのだが、全く確認できない。
  不思議に感じた。
  
  城主は飯田播磨守。元々は現村山市本飯田在住の領主だったが、最上義光に見込まれたか、ここに移封された。
  本飯田から飯田へ。面白い。
  さて例の慶長5年9月、兼続率いる上杉軍と最上軍との大戦の火ぶたが切って落とされた。
  置賜地方を出発した直江の大軍は、山形平野になだれ込む前、進攻ルート上にある山城畑谷城を攻め、壊滅させた。

  飯田播磨は畑谷城支援のため、近所の谷柏相模や富並氏と共に駆けつけたが、時すでに遅く落城していた。
  その時、落ち延びる畑谷城の生き残り兵を助けるために直江軍と交戦。討ち死にしてしまったのである。
  戦場に捨てられていた飯田の首を、僚友谷柏が決死の覚悟で拾ってきたという。

  ごく小さな館主がこのように記録に残っているのは、やはり大戦(おおいくさ)の為せる業か。




以上、この日は三か所訪城。今年はあと一カ月行けるかな。 
 
  

 
  1. 2018/10/29(月) 07:28:55|
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「拍手」に御礼

昔、大騒ぎで書いていた頃と比べ、めっきり少なくなった拙ブログアクセス数。
しかし、だからこそお一人お一人のご訪問は益々光を増し、有り難く感じます。

そして相変わらず頂戴する「ブログ拍手」。
何年たっても嬉しさ、有り難さは変わりません。

どなた様が下さるのかわかりませんが、改めて厚く御礼申し上げます。
ありがとうございます。
今後もご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。



  1. 2018/10/25(木) 07:24:08|
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訪城ラッシュ2018.10

1.中山城(上山市)
  10月14日(日)、晴天。
  中規模山城。麓の居館跡、虎口、土塁、曲輪、堀切、切岸、天守台石積み、横矢掛け・・・
  登り易く、分かり易い遺構群、有名な石積み。築城者は伊達家臣中山氏。
  初訪。大満足。登山楽。
  後日、天守石積みに限っては中山氏でなく、その後の城主蒲生氏による建設と研究者の方からご教示頂いた。

2-1.大久保城(村山市)
  10月21日(日)、晴天。
  平丘城?見た限りでは概ね方形単郭式か。地形最大利用の切岸、若干の土塁、一部とはいえ結構大規模に残る水堀。
  初訪。うんと注目はしていなかったが、訪れた甲斐のある城址。
  築城・城主は最上家三代目満直さんの子息満頼さん。

2-2.鬼甲城(村山市)
  同日。
  山城。主郭、二郭、三郭、土塁に設けられた各虎口、はっきりした城道。
  山城にもかかわらず各郭とも結構な広さの平場で、並々ならぬ削平土木が見事。
  中・小規模山城の見本のようである。築城主は富並氏(多分土豪。最終的に最上氏に呑まれたと思うが)
  国道から入ってすぐの好アクセス。初訪。登山は楽。
  入口看板を見るだけで数百回もそばを通り過ぎていた城。

2-3.駒籠楯(大石田町)
  同日。昨日午後に発掘調査現地説明会が催されたのだが、都合で行けず涙を飲んだリベンジ。
  初訪。中世(戦国時代)の城館というだけでなく、奈良平安の古い時代、朝廷の水駅だった可能性でも有名。
  その証拠に、中世でのここの歴史データを私はいまだ目にしたことがない。
  
  なんと!誰もいない広い楯跡に、私らとほぼ同時に一人の発掘ご関係の方も到着。
  生々しい発掘現場を詳しく説明して頂くという大幸運に恵まれる。
  ありがとうございました。
  
  ここに限ったことではないが、複数の時代にまたがる複数の構築物跡が露わになっていた。
  ちなみに発掘はトレンチではなく、方形に広く行われていた。
  広い楯内は発掘現場も含めただの平地だったが、入り口にはなかなか長大な土塁と空堀が確認できた。
  その規模は見ものである。初訪。平城。
  最上川に突き出す形の舌状1郭は是非見たかったのだが、下調べ通り藪が深くて進入断念。

2-4.川前楯(大石田町)
 やはり同日。山城。前回は春とはいえ結構な積雪に阻まれ、登り口のちょっと上で引き返さざるを得なかった。
 リベンジ。登り始めて数分。
 前回よりは少し進んだが、登りがきつく藪もなかなか強敵で、加えて結構大きな動物のもののような糞があったためまた断念。
 
 何かで読んだ逸話だけ添える。
 大大名に登りつつある最上義光がここを攻め落とした時(天正10~13年頃か)、城主安部氏の娘を側室に迎えた。
 その側室との間に生まれたのが四男義忠で、長じて山野辺(山辺)城主に封じられた、と。
 
3.前川本城(宮城県柴田郡川崎町)
  順序が逆になってしまった。10月20日(土)。雨後。
  今年、入り口まで来て位置を確認した城だ。初登城成就。丘山城。 
  ここ数年で何カ所の城・楯を訪れたか数えたことはないが、その何分の一かは造りや規模に驚嘆した。
  が、ここは訪問済の数十カ所~百カ所の中でグレーテスト3に入る。
  土塁、空堀、虎口、石積み、何もかもが広く、長く、大きく、深く、高く、明確で、こんなにすごい山城は滅多にない。
  米沢舘山城、大蔵村清水城、山辺町畑谷城の時の感動と同じだ。
  土豪、後に伊達家臣となる砂金(いさご)氏の築城。
  登り口で畑仕事をしていたおばあさんに話を聞くと、地元教育委員会が年二回草払いをするそうで、広大な城域のほぼ全てがきれいに現れていた。
  これはすごいことである。山城訪問の大敵はいつも薮なのだ。
 「お前の言う城跡・楯跡の魅力とやらの代表格はどこ?」
  と人に言われたら、多分私はその人をここに連れてくる。
  
  だが、城跡楯跡の魅力は、その遺構だけでは実は不十分なのだ。
  それだけなら私だって一通り回れば飽きてしまうだろう。
  そこが持つ歴史、当時の周囲の城・楯や世の中とのリレーションをも同時に学んでこそ、城楯はおのが持つ光を放つのだと思う。


 
 
 


 
  1. 2018/10/21(日) 22:32:15|
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創業大正元年 四代目店主

Author:創業大正元年 四代目店主
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