呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業106周年。店主のエッセイもたまに。

監視日記2013.10.31

体重。

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先月末より少し減ったが、まだ目標ラインを超えている。

次、運動(ウオーキング)。

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1,131分。
全く歩かなかったのは一日だけだが、40分以上歩いた日は20日にとどまった。
今月は雨休みが多かった。





  1. 2013/10/31(木) 20:37:09|
  2. 運動・体重監視日記
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昔は・・・

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寒河江の中心部にある老舗、F家さんのワンタンメン。
子供の頃から親しんでいるが、もうだいぶ前から超人気店となり、お昼時は平日でも行列ができるほど。

日曜のお昼は喜多方坂内とまではいかないが、避けたいほどの長い行列となる。
市外からも多くのお客さんが訪れるのだろう。

最近はスマホやカーナビといったツールが普及したのでさほどもなくなったが、
数年前までは頻繁にF家さんの場所を尋ねに多くの人たちが当店に入ってきた。

ひと頃など、そういう方々のために地図を書いてコピーしておこうかと思ったほどだ。
同じ町のお店の役に立つのなら、それくらいのご協力は全然惜しくない。

先週久しぶりに行ったが、相変わらず美味かった。やはり店は大混み。
麺・ワンタン共に昔よりも量が減ったような気がする。もっと食いたい。



中華そばと言えば、我が家は数十年にわたり、店の道路向かいにあったH門さんを最も贔屓にしていた。
他の店に行かないことは無かったが、H門さんは圧倒的に近く、家族全員がその味を愛していたからだ。

残念ながら数年前に閉店した。
H門さんも最後の数年は、行列までは滅多にできなかったが、いつ行っても大繁盛だった。


さてさて私は今夜何を書きたいのか。
数十年前と今とでは、寒河江の飲食店の数はくらべものにならないほど増えた。

地元生え抜きの老舗あり、新しく立ち上げた店もあり、チェーン店もある。
選択肢が増えたことは手放しで喜ばしいことだが・・・

昔、今と比べれば数少ない市内のそば屋や食堂に行くと、繁盛はしていても行列は絶無だったと記憶している。
フツーに訪れてフツーにうまい食事を堪能できたものだ。

夜もそうだ。気が向いた時にふらっと焼鳥屋ののれんをくぐれば、たいてい座ることができた。



昔は老若男女にとって、外食は一世一代の大贅沢であり、滅多に行かなかったのだろうか。
昔のおやじたちはほとんど外で飲むことはせず、ほぼ毎日家で晩酌していたのだろうか。

そんなことは無いと思うがなー。
気合を入れて、段取りして、予約をして、予測をして、第二第三候補を考えて外食に出かけなければならないこの時代。

ちょっと大変でもあり、のんびりした昔が懐かしくもあります。
皆さんはいかがお感じですか?






  1. 2013/10/30(水) 19:41:47|
  2. 食う!
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もうすぐ2013大印伝展

本日、甲府の印傳屋さんから膨大な量のご協賛品が到着しました。

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小物類 ↓

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バッグ類 ↓

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今日は開梱し品出しをするだけで精いっぱい。検品は明日。
その後は通常の売場をすっかり片付けて「大印伝展」用に改造。
そして陳列。明日あさっての二日間で全部やらないと。

また今年も印傳屋さんのご協賛のお蔭で、在庫と併せ一千点を超える陳列となります。


2013大印伝展11月1日(金)11日(月)の開催です。
期間中は無休で営業します。年に一度の大量陳列をお見逃しなくご覧下さい。

期間中の営業時間は
◎平日:9時半~18時
◎土・日・祝:10時~17時

です。皆様の賑々しいご来店をお待ち申し上げます。





  1. 2013/10/29(火) 20:07:24|
  2. 印伝
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日本の誇り

我々日本人の公共マナーの良さは世界でもトップレベルと聞く。
確かに大震災時にも証明された、助け合う心や秩序を保つ我々の倫理は世界に誇れるものと思う。

もちろん例外が無いではないが、概ねこれらの事は間違いないと思う。嬉しいことだ。
だからわが町も大抵は清潔が保たれている。

と言いたいところなのだが・・・




落ち葉の季節。今朝も出勤一番に店周りの掃き掃除をしていると・・・

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そう言えばきのうも店の植え込みにペットボトルとスナック菓子の袋が置いてあった。

毎日徒歩で通勤しているが、駅前足湯公園ほか、あちこちに結構な量、結構なサイズのゴミが見受けられる。

先日の日曜早朝も市街地を流れる小河川の掃除があり、股まであるゴム長をはいて川に入り、
専用器具でゴミをさらったが、信じられないゴミが毎回のように捨てられている。

情けないし、捨てる気持ちがわからず不思議でしょうがない。

人間も動物だ。残念ながら必要十分な道徳や礼節を備えて生まれてくるわけではない。
そこで家庭や学校、地域、更にはマス・メディアなどの躾・教育が必要なわけだ。

そういう理屈で行くと、捨てる人種というのは成長途上の若年者に多いのかもしれない。
早く成長し、立派な日本人になって欲しい。

お目汚し失礼しました。





  1. 2013/10/29(火) 10:05:50|
  2. 店主の日記
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文化祭出演2013

昨夜はJ-SNIPER見学。今日は自分の出番。
我が団恒例、山形市西部公民館文化祭出演である。

例年通り客さんは多い。100人近くいる。
対して今日出演したわが団のメンバーは指揮者を含めて15人。
なかなか団員全員の都合はつかないのである。

いつも思うが、何とかあと10人は欲しい。
常任指揮者に対してバンドが小さすぎる。

木管はまずまず揃っているのだが、あとはクラリネット一人、ホルン二人、トロンボーン二人、
トランペット二人、チューバ二人(内、弦バス一人でもいい)、パーカッション(鍵盤とか)一人が足りない。

なんだか昨日の記事と共通しているが、無いものねだりをしてもしょうがない。
与えられた40分ほどに演奏した曲は9曲。

ラデツキー・マーチ、白鳥の湖ブラスロック、北酒場、まつり、川の流れのように、
さよならの夏―コクリコ坂から―、花は咲く、あまちゃんオープニング、ふるさと。
公民館文化祭という場を考えた選曲となる。



団全体的に練習不足気味。楽勝の演奏とは言えなかったと思う。
タメが巧みな司会進行でそれを補う。

だが成人のみの一般バンド。全曲逃げ切った。(と自分は思うが)
また今回も、聴いて下さった聴衆の皆さんに感謝します。

いやあ疲れた。





  1. 2013/10/27(日) 20:31:31|
  2. 吹奏楽・音楽
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J-SNIPER発表会

マーチング東北大会を目前に控えたJ-SNIPERが今夜、主たる練習場にしている体育館で発表会を催した。
Jサポーター会々長さんから直々にお誘いを頂き、都合もついたので家族と共にお邪魔した。

この団体の演奏演技を現場で見るのは冗談抜きで何年ぶりか。

Jが誕生したのは確か平成16年の5月だから、今年で結成10年目となる。早いものだ。

わが子らが誕生から3年お世話になり、我々夫婦もその間Jサポーター会員となり、何某かのお手伝いをした。
ということは我が家がJを卒業してから6年7カ月経つんだ。




さて、浦島太郎、花子の感想。

結成時と比べ、とても上手だった。中核メンバーが成長しているのだから当然ともいえるが。
特にピッチが安定してきた。耳ができ、プレイに余裕が出てきた証拠だ。動きもきれい。

願わくは、この筋金入りの指導者にブラス32人、バッテリー8人、カラーガード8人を与え給え。
(この夜はピットのみ充実していた)

皆さんご苦労様でした。会長さんありがとう。



  1. 2013/10/26(土) 21:50:51|
  2. 吹奏楽・音楽
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天才

不来方(こずかた)
 
お城の草に寝ころびて
   
空に吸われし十五の心





皆様ご存知石川啄木の名歌である。

なんという叙情!天才だ。

きのうは宮澤賢治のことを書いたが、同じ天才でも両者は異質だ。

凡人の私は・・・

心情的には賢治と啄木の中間よりも啄木寄りのような気がする。
拙ブログをご覧の皆様は凡夫をどう分析なさいますか?



この歌も当店取扱いの南部型染の手拭に採用されています。

そしてまたまた不勉強発覚。
「不来方(こずかた)」とは、盛岡の旧称なのだった。
知らなかった。





  1. 2013/10/25(金) 22:07:07|
  2. 店主の日記
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型染「雨ニモマケズ」

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盛岡の伝統工芸「南部型染」。
写真はその型紙を使って染めた手拭。

「たかが手拭」も額に入れるとなかなか様になります。
(昔から手拭を販売している当店では、手拭用額も扱っています)

盛岡、岩手とくれば・・・
この手拭の柄は宮澤賢治のご存知『雨ニモマケズ』全文。
この他、石川啄木(やはり岩手所縁)の歌が染められた手拭もあります。(いずれも当店で販売を始めました)



それにしても・・・




雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ







これは彼が発表した文ではなく、死後に彼のメモ帳から発見されたとか。
宮澤賢治。只者ではないですね。当たり前ですが。
その感性と表現は普通じゃない。

彼は日蓮宗に帰依し、文芸を通じて布教を目論んだのだという。
不勉強が祟り、今ごろそんなことを知るに及んだ。

「雨ニモマケズ」、この齢になって一段と味わい深く読んでいます。






  1. 2013/10/24(木) 19:30:37|
  2. 店主の日記
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出演間近

年に何度かある、わが団の出演が迫ってきた。四日後の日曜なのだ。

今夜はその最後の練習。
曲目、曲順、服装、集合時間、指定駐車場など、要項がバタバタと今夜決まった。

久しぶりに演奏する曲がいくつかあったり、メンバーの中には長いこと欠席していたので「ほとんどの曲が初見だ」という奴もいる。
また、この出演用の練習にとうとう一度も来れず、いきなり本番に参加というメンバーも。
これは究極だ。

当然練習はいつにも増して熱を帯び、帰宅は10時半を過ぎた。

成人だけの一般団体とは言え、はっきり言って綱渡りに近い。
さてさて本番はどれくらいの出来になるか。

自分はというと・・・
言いたくない練度だ。

なまんだぶなまんだぶ。

中高生の部活のような練習量はできっこない一般団体なのだ。
やむを得ない。

なまんだぶなまんだぶ。





  1. 2013/10/23(水) 23:02:33|
  2. 吹奏楽・音楽
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20万アクセスに御礼

昨日、自分で踏みました。

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森のクマさんにしつこく勧められ、わけも分からずにここを始めたのが2006年元旦。
あれからもうすぐ満8年か。

無名ブロガーとしては分不相応な7年10か月で20万、一日平均70アクセス。
夢のようです。ご来訪のすべての皆様に心から御礼申し上げます。

また、日頃のコメントや拍手にも厚く御礼申し上げます。
こんなお粗末なブログをご愛顧下さり、本当にありがとうございます。

始めたのはもうすぐ47歳になろうかという頃。あれから自分も環境も随分変わった。
楽しいことも辛いこともたくさんあったなあ。

尿管結石や高脂血・高血圧といった体の異変もあったし、二人の子供も進学・卒業・就職と目まぐるしく成長した。
仕事を取り巻く環境もこの7年間に随分変わったし、親も激変した。

ここを通じてそれまで存知上げなかった、遠く離れた方々とも知り合うことができた。
まさに現代ならではのご縁の不思議である。

子供のマーチング追っかけにひと段落ついたのも、自ら吹奏楽団に入ったのもここを始めてからだった。
18歳で出会ったバイクを更に深く愛するようになったのも、新たな仲間たちと出会ったのもここを始めてから。



自分にとってブログとは何か。いまだによくわからない。
一つわかったのは、自分は書くことが嫌いでないということか。(駄文だけですが)

また、自分の阿呆をこんなに世間様に晒していいものか、という問題もよく考える。
「阿呆を晒せば皆様が安心してくれるかもしれない」とか、
「いやいや、なるべく阿呆を隠した方が色々得なんじゃないか」とか、阿呆なりの打算もある。

しかし阿呆。隠そうとして隠せるものではない。阿呆はあちこちからにじみ出る。
とすれば阿呆のまま行くしかない。


ブログという、この非常に制限の多いものの探求をもう少し続けてみようと思います。
皆様、今後もご指導ご鞭撻を下さいますよう、どうぞよろしくお願い致します。



  1. 2013/10/22(火) 20:52:09|
  2. 店主の日記
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年間エネルギー消費量比較

新自宅入居一年超。年間記録がとれたので旧自宅と比較してみます。


新自宅(平成24年10月~25年9月・通して4人暮らし)
 電気、通期で8412kwh使用。月平均701kwh
ピークは1月分(「分」とは電気使用量のしらせ通りの表現。月半ばに来るから、前月後半+当月前半のこと。以下同様)で1529kwh
最小は6月分の305kwh
 
 ものすごい違いである。冬、恐るべし。
 冬季(12~3月)合計は4647kwh。この4ヵ月で年間消費のなんと55%を占める。
 オール電化なのでガス・灯油の消費はゼロ。


旧自宅(23年5月~24年4月・通して3人暮らし)
 通期で
 1.電気  6240kwh
 2.ガス  23.2㎥
 3.灯油(暖房用・給湯用合計)1398ℓ


以上である。金額で言うと新自宅が19万円、旧が31万円ほど。
同じ人数だったら当然もっと差は開いたはず。
23年は灯油も今より安かったし、この9月からは電気料金も値上げされたし。
19:31ではとても済まなかったと思う。

それにしても三種混合エネルギーだった旧自宅も結構電気を使っていたのだな。
新旧で暮らした人数が違うのは、長女が大学生活をほぼ終えて戻ってきたから。

ということで、高気密高断熱の効果が歴然とした記録となった。

また、数字に見えない点として、暖房箇所以外は冷え切っていた旧自宅と違い、新自宅はなぜか家中どこもが暖かい事があげられる。
(暖房している所としていない所の温度差が非常に少ない)

新自宅の冷暖房はごく普通のエアコン数台のみ。他には何の設備も無い。
旧自宅の冬の床は、裸足で歩くと冷たくて飛び上がりそうだったが、新自宅は床暖房も無いのにスリッパ要らない。

夏はというとなかなか屋内が暑くならず、冷房時間が極めて短かくて済んだ。
その証拠に7、8月は、冷暖房の要らない6月や10月と同じ、300kwh台の電気使用量だった。
新自宅は冬ばかりでなく、夏にも強い。これには驚きだ。



これでレポートを終えます。
一年にわたって本シリーズをお読み下さり、ありがとうございました。



   
  1. 2013/10/21(月) 16:46:49|
  2. エコロジー
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HP更新しました

当店ホームページ 「おしらせ」を更新しました。

ブログにばかり感(かま)けてしばらく野晒しにしてしまいました。
反省し、改善します。



  1. 2013/10/21(月) 09:46:29|
  2. 店からのおしらせ
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新ルート検証

一週間前の三連休の一日、久しぶりに盛岡市を訪れた。
江戸時代から南部藩盛岡に伝わる、「南部古代型染」の勉強のためだ。

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昔から存在だけは聞いていたが、4年前の日大山高吹部の吹コン東北大会進出の際(次女高校二年)に盛岡を訪れた際に機会に恵まれ、初めて目の当たりにしたのだった。
大いに興奮してここに書いたものだ。

そして盛岡とくればもちろん

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これは外せない。紺屋町にある米内(よない)のカルビ定食(1100円)である。
何度目かの米内。この日初めて「豚肉定食」(950円?)も試してみたが(妻と二人で行った)、個人的にはいまひとつ。米内はやはりカルビだ。


さて、南部型染についてはまた改めることにして、今日は盛岡行きの初ルート開拓の話。(前置きが長い)


盛岡からの帰りはお気に入りの沢内ルートを採った。
盛岡⇒雫石(ここから岩手県道1号)⇒西和賀(旧沢内村)⇒湯田(ここから高速)⇒雄勝⇒寒河江である。

これは寒河江・盛岡間の理想ルートのひとつと思う。
距離は多分最短だ。盛岡市中心部から自宅まで227~8kmだ。
寒河江IC⇔盛岡ICをすべて高速利用した場合、料金はもちろん、距離も30kmほど多くなる。

沢内ルートの高速利用は湯田から雄勝間だけで、しかも湯沢・雄勝間は今のところ無料。
土・日・祝ETC割引ならなんとたったの500円

主寝坂道路、新庄尾花沢道路といった自動車専用道路も走るが、これらも今のところ無料。
とにかく信号も交通量も少なく、この日は盛岡市内から3時間43分で家に辿り着いた。

愛車イースは軽自動車。高速走行が少なければ燃費も伸びる。
このルートなら二人乗りでも27~8km/l は行くだろう。


また前置きを続けてしまった。さて、寒河江⇔盛岡は、

①料金を惜しまなければ寒河江⇒盛岡高速フル利用
②折衷案として寒河江⇒関山(国道48)⇒仙台宮城IC~盛岡IC間を高速
③前述の沢内エコノミールート

あたりが一般的と思うが、今回はもう一度地図を睨んでみた。
その結果、今回の往路に採用したのが鍋越ルートである。

寒河江⇒尾花沢⇒鍋越峠⇒古川IC(大崎市)⇒盛岡 だ。
これだと自宅から盛岡市中心部まで243km、3時間40分くらい。沢内ルートと比べると、距離は10数キロ増えて所要時間は同じくらい。
①、②よりも距離は短く、高速を随分長々走ったような気がするが、料金はわずか900円だった。

しかしこの鍋越越えは峠前後のワインディングがきつく、道幅が狭くて緊張を強いられる区間が結構ある。
とすると、初体験の鍋越ルートは、沢内ルートに劣る。冬は閉鎖だし。

ならば寒河江⇔盛岡は、
金もかかるし距離も伸びるが楽ちんで早い高速完全利用か、
(もしも3時間ほどで移動できるのなら、また、乗車人数によっては悪くない)

納得の区間距離、エコノミー、快適・安全な沢内ルートのどちらかだ。

盛岡行きに初めて試した鍋越ルートは、残念ながら今後の選択肢には入らないだろう。


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  1. 2013/10/19(土) 21:01:12|
  2. 店主の日記
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風邪?

最後に風邪をひいたのは2年8カ月前だった。熱を出して一日二日寝た。
大雪の年で、そろそろ自宅の雪下ろしをしようかというタイミングだった。

その時、寝て休んでいる間にも雪は降りしきり、たまらず友人の会社に依頼したっけ。
今も日課になっているウオーキングを始める直前だったのでよく記憶している。



昨日あたりから体調がいまいちになり、今日からは目、鼻、喉もおかしくなってきた。
熱もないし、寝なければならないほどひどくはないが、どうしたんだろう。

歩くようになってからの不調は初めてかも。
先日の寒い中のツーリングが効いたかな?酒飲んで寝よう。
あれ?それじゃいつもと変わりないか。


急に朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。
皆様、くれぐれも御身御自愛下さい。



  1. 2013/10/18(金) 19:05:34|
  2. 店主の日記
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那須高原ツーリング(後篇)

東北道那須高原SAを3時半発。帰るばかりだ。
ここからは200km超の高速走行のみ。休憩を入れると帰着まで2時間半はかかるだろう。

10月の日没は早い。できれば午後5時、遅くとも5時半には帰り着く目標だったが、またまた今回も無理。
3連休最終日の夕方だ。渋滞とまではいかないが交通量が多い。スローダウンが何回かあった。
宮城県に入った頃からは暗くなってきて危険が増す。

それでも午後6時ぴたり、家に着いた。
また今回も無事故無違反無トラブル。神仏と連れたちにに感謝します。
455km走って23ℓ弱のガソリンを費やした。今回の燃費は20.2km/l。まあ普通。



さて、なんで帰るだけの場面でひと記事書いたのか。
私はポカをやらかしたのだ。

最年長だからか、でしゃばりだからか、この日に限らず私が先頭を走ることが多い。
だから私がルートを間違えれば当然、後続も知ると知らずと付いて来ざるを得ない。

皆様ご存知の通り、宮城・福島県境付近に国見SAがある。
ここで最後の休憩をしようと打合せて那須高原SAを出発したのだ。

早朝から暗くなるまで一日走って疲れたか、虚(うろ)が来たか、
あろうことか私は国見SA数キロ手前の国見インター出口に入ってしまったのである。

後続たちは「あー、何やってんだとうちゃん」と思った事だろう。
だがバイクツ-リングの常、みんな付いて来なければならない。

全員料金ゲート手前の路肩に止まる。
みんなに「ごめんごめん」と詫びるだけでは済まない。
やはり皆様ご存知の通り、高速道路は一旦出てまた入れば料金が高くなる。

皆を待たせて私はゲートのおじさんの所へ行った。
「すいません。SAと間違えて降りてきちゃったんですが、どうすれば?」

「ああ、そこからUターンして本線に戻って構いませんよ」
助かった。

だが私は自信を喪失した。
出口を間違えるなんてミスは今までしたことが無い。
「国見」という緑色の看板を見た時、脳が勝手に「SA」を付けてしまったのだろう。

54歳。うーむ・・・



マス・ツーリングの定石として、隊の先頭と殿(しんがり)は、
メンバーの中でも①腕がいい、②経験が豊富、③判断が優れている
といった人が務めるのが通例だ。

もうそろそろ、というより、もっと前から私は真ん中を走るべきだったのかもしれない。




(完)




  1. 2013/10/17(木) 17:36:25|
  2. バイク
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那須高原ツーリング(中編)

会津南部の下郷町と、中通りの白河市は私が若い頃は道で結ばれてはいなかった。
(林道のような未整備の道はあったかもしれないが)

双方から国道が伸びてはいたが、甲子(かし)山に阻まれて長年つながっていなかった。
寒河江と鶴岡が隔絶されていたように、月山新道が出来る前と後を髣髴とさせる。

それが、今回のツーリングを前に久々にそこの地図を見てみると、なんとつながっている。
甲子山に4千数百mものトンネルができていたのだ。一体いつできたんだろう。
それで今回のコースが実現したわけだ。

長いトンネルを抜けて間もなく、この国道を右折。
山岳ワインディングをしばらく走ると栃木県に入る。那須高原に到着だ。正午近い。
寒河江から那須高原まで、一般道でも5時間(休憩や寄り道も入れて)で到達できることがわかった。

ここからはエリアの研究を任せたS氏に先導をお願いする。まずは昼飯だ。
しかし、折角S氏が目指してくれたレストランは満杯。
残念だったがさすがはS氏、次善の策も用意してくれていた。

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ここへ直行。さすがは三連休。賑わっていた。私は初めて。

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↑ 私のハンバーグ定食。ご飯はあるがスープは無い。1350円。半熟卵が嬉しい。

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↑ B-King氏のビーフステーキ。2900円。大きさを考えると安い。
食いしん坊の私としては羨ましかったが、ある事情があったので(多分明日あたりのブログに書きます)ハンバーグにしたのだ。


ここには12時10分くらいには着いたのだが、レストランに待ち時間があったりとか時間を食ってしまい、出発は2時近くになってしまった。
「ここまで来たんだから」メンバーだ。10kmほど先の道路終点、那須岳ふもとを目指す。

しかしずっと登りワインディングかつ大渋滞。
車でさえ大変なのに、我々は頻繁なクラッチワークに苦しめられる状況だ。

耐えながら終点までもうチョイというところまで行ったが、GPZさんのマシンが悲鳴を上げ始めた。
高出力のエンジンがカブってきたのだ。迷うことなく即断念。Uターン。

彼の不調を会話によって知ったのは並んでいた私だけ。バイクだから他のメンバーには聞こえない。
だからみんななぜ急にUターンをしたのか、理解に苦しんだことと思う。ごめんなさい。

もう帰る時刻だ。一路那須高原SA(スマートインター)を目指す。3時頃着いたかな。
土産を買ったりして、3時半頃出発。


(つづく)



  1. 2013/10/16(水) 20:53:50|
  2. バイク
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2013.10月分電気使用量

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自宅建替えから一年。使用量ビルにとうとう昨年対比欄が復活した。

しかし、今月分の使用期間は9月13日~10月15日。
それに対し、昨年新自宅に入居したのはたしか9月21日。
8日間も違うので、正確を期すために今月分まではおととしと比較する事にする。

それにしても新自宅に居住日数の短い昨年の方が電気を余計に消費している。
期間が今年よりも三日長いからか、節電の試行錯誤をしていたからか。わからない。



はい、恒例、三人暮らしだったおととし同期は・・・

1.電気  327kwh。(8724円。奇しくも今回とピタリ同じ使用量だ)
2.ガス  2.5㎥。(3570円)
3.灯油  40ℓ。(3000円)
  金額ベース合計15,294円。

なので今回は44%減(4人暮らしで)。
旧自宅は3人暮らしで電気だけでも今と同じに使っていた。

皆様ご存知の通り、先月1日から電気料金は9%だか値上がりしている。
それでも偶然同じ使用量だったおととしよりも安いのは、深夜電力契約だから。



光陰矢の如し。月々レポはこれで12回目となったので、今回が最終回です。
次は一年前から考えていた、1年合計比較をして完とします。



 
  1. 2013/10/16(水) 17:06:14|
  2. エコロジー
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那須高原ツーリング(前篇)

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秋の三連休の一日、高い確率で今シーズン最後となるであろうツーリングを楽しんだ。
なかなかの好天に恵まれたこの日のコースは上図の通り。逆時計回りだ。

山形市村木沢のコンビニに6:45集合。非常に寒い。この時点で9℃くらいか。7時発。
寒河江集合でないのは山形市内のメンバーへの配慮。

総走行距離430kmの予想だったが、那須高原でうろちょろ走りまわったので、私の場合は455kmのツーリングとなった。
メンバーはお馴染CB戦隊の3人、B-King氏(馬は記念すべき初参加)、このGWに初めてご一緒したGPZ900氏の五人。

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↑ 喜多方道の駅で初休憩。今回はラーメンはスルー。
でかいのが5台並ぶとなかなか壮観だ。ここ数年は3人くらいの時が多いから。

時刻と共に気温は上がってきたが、大峠の路上気温表示は5℃の所もあった。ひええ。
しかしみんなベテラン(人生の?)なので防寒対策は十分。各種装備で低温を克服している。

喜多方・若松間には「会津縦貫道」というのが相当距離できていて今の所無料。
初めて走ったが、大変快適で時間も短縮でき、とてもありがたかった。

まずは那須への最終分岐点、会津下郷町を目指しどんどん南下。
もうすぐ下郷という所で「天然記念物:塔のへつり」の看板に遭遇。
スケジュールも順調だし、ほんのわずかな距離の寄り道なので、予定外だが立ち寄ることにした。

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CIMG8941.jpg

奇観だった。「へつり」とはこう書くのか。以前からうっすら聞いていたが、ここにあったんだ。

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へつりと国道の間を走る会津鉄道。
森の中の小さな駅も、一両編成(だっけか?)のレトロな汽車も、とても目と心に沁みた。
運行本数は少ないだろうに、偶然踏切の遮断機が降りてくれなければ、どちらも見る事は出来なかった。

さ、もうすぐ下郷だ。左折すると大峠を越えて以来の山登りが待っている。

(つづく)




  1. 2013/10/15(火) 19:26:18|
  2. バイク
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38年前の北海道⑦(最終回)

昭和50年9月25日(木)


午前0時函館着。0時20分出航。大雪丸。(懐かしい国鉄青函連絡船。「津軽海峡冬景色」はまさにこれだ)
何が「ごゆっくりお休み下さい」だ。6畳くらいの所に20数人も詰めやがって。(※ほんとか?)

午前4時青森着。(※ということは、所要時間は現在の青函フェリーと全く同じだ)
170分眠ったろうか。4:53分発「みちのく」に乗る。

さすが交通都市、4時になったばかりなのにもう「そば」のスタンドが開いている。
みちのくに乗車中、一般客に脳震盪で倒れた人がいたらしい。

9:17分仙台着。
仙台から乗った○○バス(※伏せる)のガイドの話方は△△さん(※伏せる。北海道内移動中に乗った観光バスのガイドさんか)とは雲泥の違いだ。
仙台発は9:45。

一同山形に着くと、その小ささと辺鄙さに気付く。兎にも角にも修学旅行はこれで終わった。






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わが高校2年時の修学旅行の日記は以上である。
いかがですかみなさん。
高校生の未熟さ、生意気さ、文章のまずさ、感謝の心の不足。鼻につきませんか?

そしてぶっきら棒で面白味の無い内容。生まれて初めての北海道であり、箸が転んでも可笑しい年頃。
もう少し何とか書けなかったのか。

張本人の私がそう思います。
まあ、「16歳なんだからしょうがない」とも言えるし、
誰に見せる訳でもない本当の「日記」だから、人には言えない事も書いてあるか。

先月の北海道第二次ツーリングの際、函館でガスマン氏のご子息とその友人に会ったのだが、
滝川や函館のことがこの日記に書いてあったので無性に彼らに見せたくなった。

それだけの理由で書きました。
北の大地日記に続き、またまたおつきあい頂きありがとうございました。

(完)



  1. 2013/10/14(月) 20:28:11|
  2. 店主の日記
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38年前の北海道⑥

昭和50年9月24日(水)


北大見学希望者だけ6時起床。班ではおれだけ。6:10に運よく目覚めたので参加。
キャンパスに朝日が差し込み清々しい朝だ。北大っていい。

ポプラ並木も歩いて葉を一枚持ってきた。参加者は80人くらいか。
クラーク博士の像を後ろにして、Hたちと写真を撮ってもらった。

午前中は北海道開拓記念館を見学。その大きさ、赴き、山形県立博物館の比ではない。

11時半から6時過ぎまで自由研修。
きのう、部屋に布団を敷きに来たおじさんから「狸小路の『ひぐま』が美味い」と聞いていたので、
我々は昼食をとるために1丁目から9丁目まで歩き回った。

が、「ひぐま」は見つからず7丁目の「富公」でラーメンを食った。
K3は屋台でも残し、ここでもほとんど手を付けなかったので、ラーメンは嫌いなのかと思ったら
山形に帰ってからニチイ裏のラーメン屋におれとTと入った時は「札幌よりうまい」と言って平らげた。

大通りあたりでヤバいが個々の目的を遂げるために3班は分かれた。
おれとY・Sは土産を買うために三越へ。その後Sと他のデパートに行ったりレコード店へ行ったりした。

時は過ぎた。午後7:25発の「北海」に乗り、札幌に別れを告げる。
24時函館着。


(つづく)





  1. 2013/10/12(土) 21:15:53|
  2. 店主の日記
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お知らせ二つ

1.あさって14日(月)体育の日 は店を休ませて頂きます。

2.11月恒例、年に一度、店を埋め尽くす大量陳列「大印伝展」を、
  今年は11月1日(金)~11日(月)の11日間、期間中無休で催します。


以上よろしくお願い申し上げます。




  1. 2013/10/11(金) 21:04:29|
  2. 店からのおしらせ
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38年前の北海道⑤

昭和50年9月23日(火)。

朝から地獄谷(※登別)へ行った。思ったより大した所ではなかった(※昨年も現地でそう思った)
ここでも石を拾ってきた。

次にロープウエイを使い熊牧場へ行った。
熊を見ても大した感慨も起こらなかったのは意外だった。この二ヵ所は宿からそう離れていない。

オロフレ峠からの羊蹄山は誠に素晴らしかった。
快晴!風が吹いていて寒がらないのはおればかり。この旅を通してカメラを持っていないのが悔やまれた。
そのため、現在の貯金で買うことにした。

12時前、昭和新山に着いた。快晴!班員全員が登るのでないと許可がおりない。
渋っている奴もいたが、おじさんおばさんと面会しているK2を除いて、全員登らせることに成功した。

煙があがっている所まで行った。
石を拾っておりてきたら採取禁止の表示があったが、隠して持ってきた。

隊全員でアイヌの踊りを見たが全然大したことなし。○○○○たものだ。(※あまりに失礼で伏字にするしかない)

好奇心をそそられて熊肉の缶詰を買った。
ここでも買おうか買うまいか迷った。おれは守銭奴か。

次のドライブインでも、新山では500円だった新山のポスターを350円で売っていたのでどうしようかと思ったが買わず。

5時頃札幌に着く。でかい。きれいだ。
夜の外出は班行動なのだが、S、A、K3、Yたちと歩行速度に気持ちの違いが出たので、駅からしばらく行ったところで分かれた。

おれたち(※K1、T、K2あたりかな)は東の大通公園を歩いた後、大通駅から地下鉄に乗ってみた。おれの提案で。人が多いのは東京並だ。

就寝時間を過ぎてもまたA、Y、Sが騒ぐ。迷惑だ。
ほんとに憎らしくなって語気が荒くなる。若い奴らだ。

ああそれから外出の時、Sたちと合流する前おれたちは札幌駅前の屋台でラーメンを食った。
そこのおやじからおれたちは人情を感じた。(※何をしゃべったとか書けよな。訳が分からん)







解説

昨年、実に久しぶりに北海道を訪れた際、洞爺湖温泉街やその近くの昭和新山土産屋街などのさびれ方に驚いたものだ。
驚いた理由はこの修学旅行時の同所の殷賑と対比したからである。
あの頃のわが国は津々浦々賑わっていたのだ。

また、とても金遣いに気を遣っていたこの旅行。
貧乏育ちという大きな原因も無くはないが、実はこの時期、当時ブームだった、しかし高校生には高嶺の花だったコンポーネントステレオが欲しくて欲しくて、ちびちびお金を貯めていたと記憶している。







  1. 2013/10/10(木) 21:19:24|
  2. 店主の日記
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おやおや銀婚

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10月10日。
毎年恒例、命のキャンドルの登場である。

金婚とか銀婚というのは「数え」で数えるらしい。
ということは、「満」で言うと24年、平成元年結婚の私共夫婦は今日銀婚というわけだ。

うーむ・・・

うーむ・・・




今日ここに書くべきは・・・





妻に対する感謝と労りの言葉が常識であり定石なんだろうな。

「この女、おれに小言を言うために生まれてきたのか」とか、
「おれの言うことにいちいち反論したり否定しやがる」とか、
「必要以上に声がでかいからおれの聴力が悪化するのではないか」とか、

そんなことも日々感じているのだが、

三度三度席に着くだけで飯が食えるのも、
脱衣室の引出しを引くと洗濯されてきれいに畳まれた肌着が入っているのも、
寝る度にベッドがきれいに整っているのも、

老母を任せて飲みに出かけたりツーリングやラッパ吹きに行けたりするのも、
店を任せて外商に出られるのも、

なにより、家や会社の舵取りの相談をし、私が納得して日々突き進めるのも、

すべて妻のお蔭だろうな。

24年間ありがとう。そしてご苦労様。
だがまだまだ一緒に頑張らねばならない。
お互い健康を保ち、これからもよろしく頼む。

銀婚なんてのは、連続する数字の一つにすぎない。

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  1. 2013/10/10(木) 19:33:35|
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38年前の北海道④

昭和50年9月22日(月)


7時半出発。
宿の娘さんが登校時の姿で見送りに出てくれていた。何とも妖艶。(※色気づいている)

足寄(あしょろ)のドライブインを発つ時、店の人たちが見送りで頭を下げるのをおれはじろと見下ろす。(嫌な高校生)

昼食はレストハウス○○というところ。
そばと弁当だったが、どちらも冷めていてそばの長さは10センチしかなかったし、弁当の菜(※おかずのことだろう)もひどかった。(※食に不満だらけ)

2:27発。3:35、富川のドライブインに到着。
ここを発つ時、ここでもまた、今度は小さな女の子まで出て店の人たちが見送ってくれた。
僕はそれをじろとみる。(※いきがっているだけか)

しかし、これまでもそうだったが、特に今日は行程のほとんどが移動である。
でも、十勝のサケ漁は印象的だった。そこで石を一つ拾ってくる。バスの中で何時間も磨いた。

「住めば都」ということを考える。おれたちの方だ。山形は小さすぎる。(※ほほう)

5時、苫小牧をだいぶ過ぎた頃、太平洋の上空に白っぽい銀色の飛行体を見た。
そのまま彼方へ遠ざかり見えなくなった。この間2、3分。これはまずおれが見つけた。(?)

登別での宿、徳間ビューホテルは食物もそれ自体もこの旅一番だった。(※また食い物!)
この町もいい。

この夜、3班(※私が属する班)は二つに分かれた。
同室はK、K2、T。そのため静かで楽しかった。いろんなことを話した。

夜の外出時間にあせって燻製の缶詰を買ってしまった。
何しろ一万数千円、あるいは二万円持ってきた友人たちは半分がたつかってしまっているのだから。
しかし今考えてみると、後悔しなくてもいい買物だった。
(※学校が許した旅行の小遣いは一万円であり、私はそれを律儀に守り、友人たちはそれを超えて持ってきたのかな?)


(つづく)




  1. 2013/10/09(水) 23:05:16|
  2. 店主の日記
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あまちゃんオープニング

今夜は楽団練習日。
今年大流行したNHK朝ドラ「あまちゃん」のオープニング譜がいきなり配られ、(今ごろ!)初見演奏。
先月まで半年間耳に馴染んだこともあり、楽譜もそう難しくないしで、上手い下手は別にしてすぐ吹けた。

全パートが簡単なんじゃないかな。
明るい「あまちゃんオープニング」、楽しかった。

で、あまちゃんは今夜の練習の口慣らしと音合わせであり、本命練習曲はまた別。
しかしそれも何とかなりそうだった。

本番(出演)まであと18日。何とかなるのと考えよう。






  1. 2013/10/09(水) 22:19:36|
  2. 吹奏楽・音楽
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38年前の北海道③

続けます。





昭和50年9月21日(土)



昨夜は起きていたくないのに一時半まで起きていた。
6:15起床。7:30出発。
生憎朝から土砂降りだったので、層雲峡はバスの中から見た。

9万都市北見を通る。
美幌手前のドライブインで、北見名物ハッカの菓子など買おうと思ったが高いのでやめた。(筆者:おいおい)

屈斜路湖の眺めは素晴らしい。島などは絵でも見ているような。
田沢湖と同じくらい青い。

三日目の今日までに使った金は、昨夜Sが勝手に買ってきやがったアイスクリーム、修道院でのジュース、砂湯ドライブインで食ったフランクフルトとじゃがいもの串刺しの、合計370円である。
(筆者:さすがは貧乏育ち、細かい。今でも尾を引いている)

じゃがいもの串刺しとは、丸ごと茹でたのに塩コショウし、ころもをつけて揚げたものだ。
これはうまかった。(筆者:今でも忘れられない)

今日は三つの湖を見た。(筆者:屈斜路湖、阿寒湖、摩周湖か?)

川湯のホテルで昼食をとってバスに戻った時、Kがトイレから出発時刻より3分遅れてきた。
彼はそれを馬鹿に気にして、夕方まで鬱になり黙り込んでしまった。(筆者:さもありなん)

阿寒湖では遊覧船「観光丸」(筆者:その名、ホンマかいな)に乗って湖をめぐった。

今夜の宿は阿寒湖温泉「山水荘」。
外出の際に携帯するきまりになっている「しおり」をバスに忘れてきたので、N先生(筆者:担任の恩師)から借りて外出。(筆者:なんて律儀な!)

ここでもケチ、いや金欠、いや金惜病で450円のマリモだけに抑える。(筆者:上塗り)
一週間の旅中、この街の土産屋が一番良かった。(筆者:マリモ一個でよくもそんな感想が・・・)


(つづく)





  1. 2013/10/08(火) 20:03:36|
  2. 店主の日記
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38年前の北海道②

今宵もまたまたこっぱずかしさを押し殺し、当時の日記をほぼ原文のまま転記します。
高校時代の修学旅行二日目。
やはりガスマンJr.に捧ぐ。





昭和50年9月20日(土)


昨日はおれが一番早く寝たようだ。地震も知らなかった。
四班(※私の属する班の隣班)に、「マリモはウニではないのか」という奴がいる。

バス出発。トラピスチン修道院に行く。
毎朝三時半起床で、病気と選挙の時以外は周囲4キロの石塀の中で暮らす修道女たちの気持ちがわからぬ。

北海道にはSLがたくさん走っている。
函館11時40分発おおぞら3号に乗る。
視野のかなりの部分を牧場が占めていて、北海道だなあと思われる。

6:23、遅れて滝川に着く。ここから五日間同じバスに乗る。
駅派出所に女子高校生が二人いた。大和撫子が少なくなったことをK※1と共に嘆ずる。
滝川のメインストリートで高校生のパレード※2に出会った。車中から手を振りあう。

(現在の筆者:この先を書くのは卒倒しそうなほど恥ずかしい。だが行くぞ!)

かわいい女の子がいっぱいいる。またなんというかわからない、どうしようもない気持ちになってきた。
噫!すばらしい異性への限りない憧れか。センチメンタルになると僕は幸福も感じる。

(筆者:えーい!死にそうだ。あなたにはこういった勇気はありますか?)

山形人はなぜ滝川、いや、全国の高校生のように快活でないのだ。
一路宿のある層雲峡へ。





注1  K⇒私の前半生で最も縁が強く、最も長く付き合った、まるでドッペルゲンゲルのようなマブ。

2  先月、G-Jr.に函館で会った時、滝川での様子を語った。
   彼と彼の友人によると、「それは滝高祭だ!」とのこと。それがこのブログを書く原動力となった。


(つづく)





  1. 2013/10/07(月) 20:09:06|
  2. 店主の日記
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38年前の北海道①

―ガスマンJr.に捧げる―


以下は1975年、私が高校二年の時の日記である。大赤面箇所が多数あるが、満16歳時の記述だ。
恥かしさを堪え、ほぼ原文のまま載せることにする。(今の文章と大して変わらなかったりして)






昭和50年9月19日(金)

修学旅行一日目。
午前8時30分、山形発仙台行き普通列車に乗る。
11時30分仙台発「はつかり1号」に乗る。

車中、T※1とずっと野球ゲームをしていた。学校でのと合わせるとおれの勝率は9割以上。
午後4時青森着。5時出航の羊蹄丸に乗る。

駅のホームと船乗り場は連絡橋でつながっている。
船は思ったより揺れが少なく、客室は広かった。酔う心配などない。

「臭い!」※2が函館でのみんなの第一声。じきになれた。
市電がある。宿までバス。漁火がずらりと並んでいて美しい。

○○軒分館※3に泊。名に逆らわずひどい所だ。
おれとS※4は4班と寝る。あとでわかるが、※53班と一緒に寝る時が一番ひどい。

今日は食い過ぎてしまった。明日から控える。※6





注釈1 T⇒高校時代のマブの一人。今どうしてるんだろう。
 
 2 強烈な魚の匂いだった。昨年と今年、数十年ぶりに函館を訪れたが、あの匂いは皆無だった。
   冷凍技術の進歩か。
 
 3 申し訳ないので名を伏せた。お世話になったのにごめんなさい。
  
 4 S⇒やはり当時のマブの一人。私にオーディオとクラシック音楽の魅力を教えてくれた。
 
 5 3班が自分の属する班だったのだろう。部屋の広さの都合などでその夜は私とSのみが自班と別れ、
   隣班の部屋に寝たと思われる。
 
 6 幼い頃から肥満に悩んでいた私は、高校一年の冬から2年の初めにかけて初めてのダイエットに挑戦し、
   20kgを超える大減量に成功していた。その数カ月後の頃だから、まだまだ食事には気を遣っていたとみえる。


(つづく)




  1. 2013/10/06(日) 21:32:00|
  2. 店主の日記
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幸運

ネットで初めて古本を買ってみた。

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二冊(連作らしい)とも、1958年宮城県生まれの熊谷達也氏の作品。
色んな賞を受賞している大した作家なのに今まで知らないでいた。不覚。

実は最近、お世話になっている新聞社の方からこの二冊の存在を教えて頂いたのだ。
彼はこの本を既に何十回も読み返しているという。

私はというと、だいぶ前に高橋克彦氏の「火怨(かえん):北の耀星 阿弖流為(アテルイ)」(上・下)と出合い、熱狂し、数十回とまではいかないが、10回近くは読み返している。

過去、ここに何度か書いたので簡単に「火怨」を説明すると、

朝廷の圧迫により、長らく辛く苦しい生活を強いられている東北の住民蝦夷(えみし)たちがアテルイを中心に蜂起し、強大な朝廷に対し長年にわたる大反攻を繰り広げる。
最終的には征夷大将軍となった坂上田村麻呂が最大のライバルとなり・・・感動の終結を迎える。
8世紀頃の話だ。

勉強はできなかったが、小さい頃から読書だけは大好きだった。
随分いろんな本を読んだが、「火怨」ほど繰り返し読んだ本は少ない。

新聞社の彼から、「ならばこの二冊は阿弖流為の本ですよ」と教えられ、古本屋にとんで行った。
が、無い。

で、こうなったわけ。
買う事になった「荒蝦夷(あらえみし)」は定価1890円の立派な単行本。
「まほろばの疾風(かぜ)」は定価940円の文庫本。

これが今回、なぜか前者が198円で後者が348円。価格が逆転している。
いずれにしても安く入手できて満足。
本代よりも送料(300円)と代引手数料(315円)の合計の方が高いくらいだ。

ところが・・・
「まほろば・・・(高い方)は、出荷作業中に商品に不備が見つかったのでタダにします
との連絡があった。なので支払ったのはわずか800円ほど。
どれどれ、と着いた本を見てみると

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几帳面にも、前の持ち主がカバーをセロハンテープで補修していた。(ちなみに私ならタックシールで補修する)
それ以外は非常にきれいで新しい。ドンマイ。ラッキー!



今日はたったこれだけです。おあとがよろしいようで。お粗末。





  1. 2013/10/05(土) 15:25:46|
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B-KING登場

夕方、新馬を手に入れた友人がさっそく見せびらかしに来てくれた。
その鉄馬の名は

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スズキの名車「隼(はやぶさ)」をベースに造られた逆輸入車だそうだ。

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排気量は1340ccだそうで、わがCBとほとんど変わらないのだが、逆車だからパワーはすごいらしい。
隼の外見も激しいが、こいつはもっとすごい。

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このイグゾーストエンド。このタンク(ダミー部含む)。カバー部も入れればCBのよりも広い。
激しい。お化けだ。

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馬鹿でかいラジエータと、下にオイルクーラーらしきもの。

バイクを見て「うおおお!」と唸ったのは久しぶり。
昨年だか、道の駅「こまち」(秋田)の駐車場でトライアンフ(英国の名車)を見た時以来である。

彼の名をV-MAX氏からBK氏に改めなければならない。
一緒に走る日が楽しみだ。

彼の帰り際、アクシデントがあったがそれは割愛。

しかし、男はいくつになっても子供と同じで、お気に入りのおもちゃがいつもそばにないと生きていけないようである。
そしてまずいことにそれは、齢とともに大きく高価になっていくことが多い。





  1. 2013/10/04(金) 19:58:06|
  2. バイク
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佐藤達也 四代目店主

Author:佐藤達也 四代目店主
呉服・和装・印伝専門店

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