呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業106周年。店主エッセイが多いかな。

溝延城

以前から行きたかった場所を初めて訪れた。
隣町河北(かほく)町の溝延(みぞのべ)。家から4.5km。自転車でも往復できるような近所だ。


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溝延集落の真ん中。城址を本丸跡に15分の1のスケールで整備復元したとか。面白い。
何百回もすぐそばの県道を通りながら、なぜかただ一度も訪れたことが無かったのが不思議だ。
トイレあり、駐車場あり、至れり尽くせり。

それにしても最上義光(よしあき)、戦国の世とは言いながら苛斂誅求甚だしい。

ついでに溝延集落をぐるっとウオーキング。
素晴らしい。寒河江では滅多に見られない歴史を刻んだ建物や風情を楽しめる。
溝延。おすすめです。




  1. 2015/11/15(日) 21:31:02|
  2. 温故知新
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九度山

高野山から酷道371で下り、10月19日午後4時半、九度山町(和歌山県)に着いた。
吉野川沿いで、和歌山市の東40kmほど、奈良県五條市の西15kmほどの所にある小さな町だ。


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↑ 家康に蟄居を命ぜられた幸村が住んだ真田庵があるのだ。
が、誠に残念ながら

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雁金と六文銭が刻まれた門は閉まっていた。4時までだったのだ。

来年のNHK大河ドラマは「真田丸」。きっと大勢の観光客で賑わうことになろう。
歩いて数分のところに「真田の抜け穴」があるというので、せめてもの慰めに行ってみる。


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予備知識ゼロで訪れたここ、なんとなぜか土盛りがなくなった円墳の石室だったのだ。
なーんだ だった。

しかし、9月の長野ツーリングでたっぷり嗅いだ真田の匂いを思いがけずまたこの度も嗅ぐことになった。
何か縁があったのだろう。

上記二ヵ所とも、極端に道路の狭い住宅地にあった。
にもかかわらず行政主導で「真田ミュージアム」なるものが建設中だった。
余計なお世話と思うが、来年はいいだろうがその先は大丈夫か?

夕暮れとなり、和歌山・奈良の県境を超えて二泊目となる五條のホテルに向かう。
(といって30分もかからなかったと記憶している)

この日はメインの高野山の他、ここと五條新町の三カ所を巡れたことになる。
充実した一日となった。





  1. 2015/11/13(金) 21:09:47|
  2. 温故知新
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五條③

10月19日早朝、その素晴らしい五條新町を歩いていたら妙なものが目に入った。

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なんだこれは?
鉄道なら別のところを通っているのだが。

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水道橋?それにしては位置が高すぎるような。
ん?橋桁に何か書いてある。

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おおお!未完鉄道の遺構だった!なんということ!

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いまだに残っているとは!

そういえば、私と同じ地方に住む皆さんは「左荒(さこう)線」という言葉を聞いたことがありますか?
私の最も古い友人の父上が昔々、寒河江市会議員をなさっていた頃だろうか、
「左荒線」期成のご意見をどこかに書いておられたのを読んだことがある。

そう、我らが「JR左沢(あてらざわ)線」終着駅の左沢と、現フラワー長井線の終着駅「荒砥(あらと)」を鉄道でつなぐ話だ。
つなげば山形県の内陸に鉄道環状線が出現し、広域に様々なメリットが齎されるという話だ。

「幻の五新鉄道」を初めて知り、そんな話を思い出した。
しかし何という町なんだここは。

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朝の新町通りを縦断し、帰りはすぐそばの吉野川堤防を歩いて宿に戻った。

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生涯頭に残りそうな町、五條。泊まってよかった。

(五條の巻 完)







  1. 2015/11/11(水) 21:56:22|
  2. 店主の日記
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五條②

思いがけず明日香で石舞台や酒船石を見ることができ、非常に満足して五條のホテルで第一泊。
翌早朝(10月19日)、高野山に向かう前に、32年前は見過ごしてしまった五條の名所を散歩した。

ホテルのすぐ裏、五條新町通りである。

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1Kmにも及ぼうかという、少なくとも半世紀は時間を巻き戻したような、古い町屋100%の通り。
知らなかった。日本にはこんな所があるのだ。

驚いた。この佇まいの中で多くの人々が暮らしているのである。
「ああ!素晴らしい!」「おお!すごい!」。歩いている間中何度も嘆声を上げざるを得なかった。

実は昨夜、夕食後の散歩中に見つけたエリアである。
そして、この稀有の通りを歩いている時にまた一つすごいものを見つけてしまった。


(五條③に続く)






  1. 2015/11/09(月) 21:24:19|
  2. 店主の日記
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五條①

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明日香村、五條、橋本、九度山、高野山の位置関係はご覧の通りである。
明日香、五條は奈良県。橋本、九度山、高野山は和歌山県だ。


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↑ ピンの位置が五條。
しかし、東北の私にとってはもはや京都も大阪も奈良も和歌山もみな一緒に見える。

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800余キロ、遥々行ったものだ。

高野山をたっぷり見るには一泊二日は完全に無理。
高野山またはその近くに宿をとって二泊し、中日が(なかび)高野山攻め、初日と最終日は移動あるのみ。

ではなぜ二泊の宿を五條に定めたか。
高野山の宿坊という手もあったし、五條よりは高野山に近く、町も大きい橋本が最も正解に近かったかもしれない。

ではなぜ・・・
理由その一。
車で一日がかりで関西に行くなんていう大冒険は初めてであり、不安だったからだ。
高野山までの830キロよりは少しでも近い、800キロ走行で済む五條。

その二。
先日書いた通り、遠く過ぎ去った若い日に一人五條に泊まったことがあったから。

奈良県五條市。人口三万数千人。寒河江よりも小さな町だ。
32年ぶりにこの町を訪れたが、全く、完全に記憶が無い。

だが、二度目の五條ではただ寝ただけのあの時と違い、大きな発見がいくつかあった。

(②につづく)







  1. 2015/11/08(日) 22:20:09|
  2. 店主の日記
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高野山③(奥の院他)

10月19日(月)。

さあ、壇上伽藍、金剛峰寺という高野山の二大聖地を見終わってもまだ午前。
いよいよ足で歩いて三番目、同山東端の大スポット奥の院に向かう。

ここは先日書いた通り、30数年前バイク一人旅の時にも訪れた所だ。
が、記憶はあまりない。

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奥の院は秋の陽に美しく照らされていた。

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覗き込み、底の水に自分の姿が写っていないと余命は三年以内という伝説のある「姿見の井戸」。
水と光がある限り見えない訳は無いから、とても安全な伝説なのでは?

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秀吉公や前田さん、毛利さんや伊達さん、酒井さんや佐竹さん、石田さんや島津さん、
全国各地の大大名の墓所が数え切れないほど並んでいる。
一体どれだけ歩けば弘法大師様の霊廟に辿り着くのだろう、というほど長い長い墓所・参道だ。

だが遂に奥の院に到着。

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この川の先は大師様の聖地。完全撮影禁止。拝観料を支払い、堂内を見学。
最後に地下に降り、大師様が今も瞑想を続けておられるという真ん前まで行ってお参り。
ここはすごかった。

壇上伽藍金堂ご本尊御開帳参拝と並び、実はここが遥々高野山までやってきた二大目的の一つなのである。
大師廟参拝は非常な感動があったのだが、今となっては文章に表すのが大変なので割愛する。

私(我が家)はなまんだぶの門徒なのだが、今回だけ
南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛

また長い長い参道を戻る。とその時、無数の墓所の中からこれを見つけた。

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信長公墓所のあるこの地にあるのだ。

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光秀公の墓石の真ん中のやつが、何度取り替えてもこのように真っ二つに割れるのだとか。
伝説が生まれるわけだ。

長時間の奥の院ウオーキングを終えると、午はとうに過ぎている。
疲れた足に鞭打ち、昼飯をさがしてまた歩く。

この地は、参拝・観光客が多い割に食う所が異様に少ない。
小さなありふれた食堂に入り、13時半頃だったか、やっとありつく。

食後でもまだ時間がある。次は少々バスに乗って徳川家霊台へ。

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手前が家康公の、奥が秀忠公の廟。この二人の廟が並んでいる。
家康廟にはご覧の通り鳥居があり、秀忠公のものには無い。なんでだろう。


次は最後の訪問地「大門」へ歩く。足がきつい。ラストスパートだ。頑張れ。

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説明通りの立派な門だ。

午後3時を過ぎた。またまた歩いて駐車場へ。
午前9時ちょうどから始まり6時間以上。私も妻もよく歩いたものだ。足が棒。
日頃のウオーキング習慣が少しは功を奏したか。


和歌山県橋本市からここまで登ってきたR370の30余キロもひどかったが、
32年前にもバイクで走ってあまりのひどさに驚いたR371でまた橋本へ下る。
スリル満点の道路だ。が、楽しかった。

秋の日はまだ暮れない。橋本市近郊の九度山町へ向かう。
関ヶ原後、家康は真田幸村を蟄居(幽閉?)させたのが九度山なのである。


(高野山編は完。とりあえず、お読み下さりありがとうございました。でもまだ九度山と五條が残っている。)
(もっと言えば「長野ツーリング:真田への旅」も、まだ上田と小布施を書いてない。困った)







  1. 2015/11/06(金) 21:46:51|
  2. 店主の日記
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プロフィール

佐藤達也 四代目店主

Author:佐藤達也 四代目店主
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