呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業106周年。店主エッセイが多いかな。

「決算市」開催のおしらせ

差し迫ったおしらせになってしまいました。
明日4月1日(金)~3日(日)の三日間、
日頃のご愛顧に心からの感謝を込めて決算市を催します。

自慢の特撰呉服から和装小物・細貨、○○に至るまで、すべての商品を決算超特価でご奉仕します。
年に二回のチャンスです。どうぞお見逃しなく。皆様のご来店をお待ちしております。

三日(日)は休まず営業します。四日(月)代休させて頂きます。


店ロゴ(小)





  1. 2016/03/31(木) 17:28:11|
  2. 店からのおしらせ
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異変

もうひと月にもなるか。
少雪だったため、この春の徒歩通勤ゴミ拾いは昨年より早い時期に再開できた。

雪が消えて再開したばかりの2、3日は例によって量が多く難儀したが、
その後は約1kmの通勤でタバコの吸い殻20本とか、まあ「普通」の状態だった。

それがである。
このところゴミの種類に変化が起きているのだ。

吸い殻は相変わらずだが、使用済みのティッシュがはっきり増えたのだ。
花粉の季節だからかと推測している。

バッチイのですすんで拾いたくはないのだがやむを得ない。全部拾う。
バッチイと言えば吸い殻だって似たようなものか。

問題は公共心というより先に、まずは各家庭での幼少期の躾だろう。
常識を身に付ければ、ポイ捨て解消など無論のこと、
対人関係まで円滑になり、より良い人生になると思うのだが。




しかしブログの題材が変ってきたなあ。
タイトルを改めた甲斐があったというものだ。





  1. 2016/03/31(木) 09:53:45|
  2. 店主の日記
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マッチ

日足が延び、気温も上がり、薪ストーブシーズンもそろそろ終わりに近づいてきた。

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薪ストーブ最初の冬、昨シーズンの着火はチャッカマンを使っていたが、この冬は思い立って懐かしいマッチを使ってみた。

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何の問題も無く目的を果たすことができた。
チャッカマンと違い、使い切ったら箱まで燃やせてしまうから、ゴミが全くでないし圧倒的に安い。
一箱でふた冬も持ちそうである。

ローテクはなかなかどうして捨てたもんじゃない。




  1. 2016/03/29(火) 20:08:57|
  2. エコロジー
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ZIPPO

壊れて使えなくなっていた愛用のジッポーライターを、
今月初め頃だったかジッポージャパンに修理に出した所、二、三日前に戻ってきた。


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蓋が本体から離れてしまっていたのだが、この通り見事に直して頂いた。
修理代は無料だった。
もちろん依頼時の送料はこちら持ちだが、返送はなんと元払い。

おまけに中の芯、綿(わた)に至るまでインサイドユニットは丸ごと新品と交換。
送った時のそれまで添えられ、更にはフリント(着火石)二個まで付けて返ってきた。

ジッポーは相当昔にも一度修理してもらった経験があった。
修理無料、一部新品と交換、返送元払い。昔と全く同じサービスである。
自社内作業だからできることとはいえ、これはすごいことだ。称賛に値する。

何もかも無料で出来るわけではないが、我が社もいつまでもこういう親切な対応を続けたい。
ジッポージャパン、ありがとう。ずっとタバコを吸い続けます。





  1. 2016/03/29(火) 19:58:11|
  2. 店主の日記
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祝 北海道新幹線開業

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とにかくめでたい。
四国・山陰には無いし、山形・秋田新幹線も「なんちゃって」だが、とにかく初めて北海道から九州まで世界に誇る新幹線でつながったのだから。

齢をとり、バイクに乗れなくなっても、「ちょっと函館に塩ラーメン食いに行くか」が、飛行機の他にも手段があるのは大きい。
なにせ、仙台⇔函館北斗が2時間半なのだから。



それにしても・・・
福島⇔山形のわずか90kmを60分もかけて走る、我が「なんちゃって新幹線」。なんとかならないものか。
フル規格なら20分なのに。

いつも思うのだが、フル規格化が不可能に近いのなら、この90kmの在来線共用部分を、
減らした踏切を更に絞ったり、立体交差や柵を増やしたり、
高畠・赤湯・上山の方々には申し訳ないが、途中停車は米沢だけの列車を増やし、
安価・短時間で実現できる対策をすべてやり、

もっとぶっとばしたらどうか?

そしてこの区間をせめて40分、出来れば30分で走るのだ。ならば山形⇔東京は2時間ちょっとになる。
どうでしょう?





  1. 2016/03/27(日) 08:24:51|
  2. 時事
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春の歳時記

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今朝、先輩の新愛車が冬眠を終え、我がガレージから発進していった。
また春が来た。
先輩も、みんなも、自分も、また今年一年無事で過ごせますように。





  1. 2016/03/26(土) 09:49:00|
  2. バイク
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歴史備忘録(出羽国成立)

出羽国。皆様ご存知の通り、ほぼ現在の山形県と秋田県を合わせた地と覚えて間違いない。

大和朝廷は越(こし:現在の新潟県)から先の日本海側に支配地を拡大するため、現山形県庄内地方に出羽郡を置いた。
それが和銅8年(西暦708年)だ。

ついで和銅5年、陸奥国(現福島県・宮城県・岩手県・青森県)から、
今の山形県の最上(裳上)地方と置賜(うきたむ)地方を出羽国に割いて持ってきて出羽国が成立した。
今から1300年以上前のこととなる。

当時の出羽の原住民(異民族ではない。出羽に住んでいた民。朝廷は蝦夷《えみし》と蔑称した)は様々だったろう。

1.朝廷に恭順し、平穏に暮らし続けた者。
2.恭順どころではなく、朝廷に取入って階位を得た者。(これは蝦夷の中でも身分の高い者だけだろうが)
3.朝廷に強い不満を持っているものの、やむを得ずそれを押し殺して従った者。
4.阿弖流為(アテルイ)のようにはっきりと朝廷に抗った者。

だが、朝廷の東北への版図拡大は大局的に見て「辛うじて」、「なんとか」うまく行ったから今日に繋がっているのだろう。
阿弖流為の乱、安倍氏の乱(前九年後三年の役)、平泉藤原の悲劇、直近では会津・庄内藩の西南戦争。



出羽国成立のタイミングだけ書こうと思っていたのだが、少々筆が滑ってしまった。
山形県寒河江市生まれの私と、数百年はここに根付いていると思われるわが一門。

でもその前は・・・
どこから来たのかわからない。

朝廷は自分から見た「辺境」に、人民をどんどん入植させたからだ。
東北に生まれたから必ず当時の蝦夷の末裔とは限らない。

でも・・・
我々はこの出羽国に暮らしている。
何度も何度も朝廷に、幕府に、明治政府に負け、大震災にやられ。
それでも絶えることなくこの大地に暮らしている。

もっと遡れば、出羽国成立当時の蝦夷だって、更に昔はどこから来たのかはわからない。
だから・・・
「東北に住んでいる者」がいつの時代も本物の「蝦夷(えみし)」の定義なのではないかと思う。
だから・・・
我々は決して何事にも屈しない、誇り高い土地に暮らす「蝦夷」なのではないか。



あー、益々筆が滑ってしまった。







  1. 2016/03/24(木) 22:08:23|
  2. 温故知新
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小滝の蕎麦

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南陽市のてっぺん。
小滝の蕎麦、うまし。





  1. 2016/03/23(水) 09:30:37|
  2. 食う!
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婦人会総会

人望や資質があるからではなく、輪番が回ってきたからやむを得ず。覚悟を決めて。
そんなわけで妻はこの一年、地元公民館組織の一つ、婦人会長を務めた。

我が公民館は基幹公民館ではないが、それでも管区内に200ほどの世帯を持つ。
決して小さなものではない。婦人会員も60数名いらっしゃるとのこと。

悩み苦しみながらの任期一年。しかし昨夜は遂にその総仕上げの総会だった。
友人との飲み会から酔っぱらって帰宅すると、妻は既に総会から戻っていた。無事に終わった様子。

そういえば私も四年度前の震災の年、同じ理由で町会長を務めたっけ。
一年間には逃げることのできない、解決すべき様々な問題が発生する。

地域のお役目如き、例えば一国の行政の長などとは較ぶべくもないが、
それでも小心非才の凡人には十二分なプレッシャーであり、心身ともに消耗する。

私もこの一年は、パソコン作業を手伝ったり、求められればアドバイスもした。
妻は総会の近づいたこの一カ月ほどは生きた心地がしなかったしなかった様子。
平凡総会ではなく、解決または推進すべき臨時協議事項を一つ二つ抱えていたそうなので尚更だ。

いつでも、何の団体でも、その運営には大なり小なり苦労を伴う。
が、いつでも、何の団体でも、神様は必ず救いも用意していて下さる。

協力して下さり、支えて下さった方々に心から感謝すべきだろう。
恙なく、滞りなく一年務めることができたのだから。

「ご苦労様だったな」と帰宅した私は妻を労った。
一晩寝、一足先に起きた私は今これを書いているのだが、妻は久しぶりにぐっすり寝ている事だろう。











  1. 2016/03/20(日) 07:39:40|
  2. 店主の日記
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臨時休業のおしらせ

21日(月:春分の日)、休ませて頂きます。
ご不便をおかけし申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


ろご




  1. 2016/03/18(金) 20:43:25|
  2. 店からのおしらせ
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「一票の格差」と「境」考

「一票の格差」の論議が出て久しい。
不勉強甚だしい私には衆、参、どちら(あるいは両方か?)のことかもわからず、このことを書く資格すら無いかもしれない。
ただ、国会議員数のことであるのは間違いなかろう。

格差の現況は最大で2.X(エックス)といったレヴェルだそうだ。大きすぎる。
これは是正すべき数値だと思う。最高裁の「違憲状態」という判断に賛成する。

現実問題として、1.0というのはこれは不可能に限りなく近い。
個人的には、許容範囲は1.5以内あたりではないかと思うが皆様いかがですか?
で、「○増○減」といった是正案が出てくるわけだ。

そこであくまで例えばの話だが、鳥取県(人口59万)と島根県(同71万)を足して○区に分けようとか、
島根の一部を鳥取に割こうか、とかいう案が出てくる。
すると、「文化も歴史も全く違う。それは無理だ。暴論だ」という反対論も必ず出てくる。

誠にもっともである。
相当異質な庄内地方とここ内陸地方が一つの山形県になっているのもなかなかのものだから。

だが、格差是正の正義は日本国憲法の下(もと)、都道府県境区切りの上位にあると思う。

境なんて、時代とともにころころ変わってきたのだ。
明治政府も非常に苦心し、何度も都道府県境を変えた。

わが山形県だって、明治初期には米沢県や酒田県もあった。

飛鳥、奈良、平安時代だって、それまで無かった出羽(でわ)国を越(こし)の国の先にポコッと作ったし、
東北が西の出羽と東の陸奥(むつ)の二国だった頃、
秋田県東北端の鹿角郡(現鹿角市・小坂町)は陸奥だったのに、明治になるとなぜか秋田県に編入された。

他にも境変遷の歴史は数え切れないほどある。
ころころ変わったその原因は、境は人口、産業、交通、利権等の均衡を意識して定められたのに対し、
それらの要件が時代と共に変化していったからだ。

この千数百年間に、本当にころころころころ境は変えられたのだ。
だからこの百年かそれくらいの「慣れ」で言えば、他県の一部と選挙区が一緒になったりするのは、
住民としてはそれは違和感があるだろう。

私だって「寒河江は米沢と同じ選挙区かい?山形の隣なのになあ」と感じる。
前述のように、「境」(さかい)なんて絶対のものではないのだ。

例えば春の選抜高校野球。6県ある東北地方から、出場するのは僅か3校。
しかしメトロポリス東京からもたった二校というのはどうだろう?
都民は「不公平だ。5校出せ」と言い出しやしないか?なんて心配してしまう。

例えば西暦20××年になったら・・・
「秋田、山形。無残に人口が減りましたね。残念ですが、異論もあるでしょうが、
昔の出羽の国のように一県に合併して下さい。もう、地方交付税が限界なんです」
なんて国から言われるかもしれない。

だから、正当な理由があれば選挙区も行政区も、変化変更はやむを得ない場合もあるのではないか。
「格差是正」を聞く時、いつもそう思うのであります。いかがでしょう諸賢?




  1. 2016/03/16(水) 21:08:00|
  2. 店主の日記
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お悔み2016.3

友人の母上がこの度亡くなられ、きのうお見送りの席に参列させて頂いた。
彼は昨年一月にも父上を亡くされたばかり。
ご両親共旅立たれてしまった。
謹んで御母堂様のご冥福を祈り、ご家族様には心からお悔やみ申し上げます。






  1. 2016/03/15(火) 21:04:40|
  2. 店主の日記
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山中のそば屋+宮内駅

南陽市宮内から北に延び、山中で国道348に至る県道6。その距離15kmほど。
ここの景色と道が大好きで、昔からバイクでも車でも何度も走った。

で、そのエリアの南陽(なんよう)市萩集落にあるそば屋がずっと気になっていたのだが、昨日遂に訪れた。


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すごい景観。

食後、更に11キロ先の南陽市宮内(みやうち)にある家具店に向かう。
残念ながら目当ての品が無く、しかしただ引返すのは勿体ないので、宮内駅を見学。


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右写真の右側、「駅長室」では女性がお一人勤務中だった。無人駅ではないのだ。↑


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なんて懐かしい。子供の頃の寒河江駅を髣髴とさせる。

この小さな町は立派な熊野大社が最大の観光ポイントなのだが、何度か訪れたことがあるのでカット。
もう少し足を延ばし、梨郷(りんごう)地区まで行けばまだ見ぬ古墳群があるはずなのだが、
昨日は寒かったのと、連れが花粉症ということでそれは諦めた。

が、駅に立ち寄って本当によかった。





  1. 2016/03/14(月) 10:47:59|
  2. 食う!
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スピード感

誰が言い出したのだろう。
我が国の総理大臣が使っていたのが私の聞き初めだったろうか。

「スピード感を持ってこの問題に臨みます」といった使い方を、ここ数年頻繁に聞くようになった。
主に行政関係の方々がよく使っているように思える。


非常にわかりづらい日本語だ。もっとはっきり言えば、意味がわからない。
「スピード感を持って臨むとどうなるの?」と聞きたくなる。

57年この国で暮らしているので、もちろん言いたいことはぼんやりはわかる。
が、詭弁に聞こえる危険はないだろうか。

「この問題は、出来る限り速い解決を目指し対処します」
と普通に言えばいいのではないかなあ。

諸兄諸姉はいかがですか?






  1. 2016/03/12(土) 19:35:59|
  2. 気になる日本語
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黙祷

あの日から今日で5年。
妻は追悼式典を流しているテレビのある西を、私は被災地の方角の東を。
夫婦あべこべを向き、14時26分、一分間の黙祷。

かつて経験したことのない、激しく長い揺れだった。地震発生と同時に停電が始まった。
当時仙台のアパートに住んでいた長女は幸い春休みで帰省していたし、山形市内で遊んでいた次女も幸い電話がつながり、破損してあちこち通行止めの道路が大変だったが、迎えに行って無事に拾ってくることができた。
吹雪の、寒い夕方だった。

前月から、今に至る習慣のウオーキングを始めていた私は、あの日の夜も自称「東コース」を歩いた。
次女もついてきた。街路灯も、商店も大規模店も、民家も真っ暗。

いつもの十分の一も走っていない車のヘッドライトだけが唯一の灯りだった。
主要な大交差点だけ、警察の方々が発電機をつないで信号を点けていた。
寒い夜だったが、満天の星空だったと記憶している。寒河江の町であんな星空、幼い頃は見えていたのだろうか。

停電は翌日の確か19時過ぎまで続いたから、27時間以上電気が使えなかったわけだ。
あんな長い停電は生れて初めてだった。

夜はろうそくを何本も立ててカップ麺やレトルトカレーでしのぎ、とうに認知症を発症していた母のために、
なけなしの電池を使って夜通し母の部屋とトイレの間を懐中電灯で照らした。

翌朝は初めてカセットガスコンロで米を炊いてうまくいき、嬉しかった。
ニュースはカーナビのワンセグ放送で見た。新聞がいつものように配達されたことに感動し驚愕した。

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あの当時、日記は書いていなかったので、3月・4月のこのブログを読み返してみた。

4月1日、知人友人のご厚意でハイエースと60リッターの軽油を手に入れ、
一般車通行が許されたばかりのボコボコの山形道・東北道を100回もジャンプしながら人と荷物を満載して走り、
滑り込みセーフで次女の学部開講式に間に合った引越し。
日本武道館での入学式は中止となった。

ガソリンが買えないのでなるべく歩くなどして使わず、給油行列にはほとんど並ばずに済ませたこと。
絶望的に不足した非常食や生鮮食品、乾電池、トイレットペーパーなどの生活必需品が、
量販店では行列+入手困難だったが、町の個人商店では結構楽に買えたこと。

人生史上最大の義捐金を拠出したこと。
隣町の倒壊家屋の解体作業の手伝いに行ったこと。

ビフォー

寒い3月、友人から入手困難な灯油を融通してもらって助かったこと。
やはり友人からガソリンをゆずってもらい、娘の仙台のアパートの被害状況を確認しに行ったこと。
自宅も店もしばらくの間、極端な節電をしたこと。

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大きな余震に何度も見舞われ、再びの停電もあり、心が萎えたこと。
被災地の被害状況の記録。様々書いてあった。




5年経ち、「震災記憶の風化」が二年目くらいから言われていた。
記憶は残念ながら必ず風化する。

既にこの世にいない世代が経験した災害の記憶は、精々「記録」としてしか残っていないのが世の常。
だから、できることは「正確な記録」を「いかに長く」後世に伝えるか、だと思う。

私は当時の震災に関するここでの記事には、「被災地の隣で」というタイトルを付けた。
わが県は絶無ではないけれども、死傷者や家屋の倒壊は幸いわずかだった。

だが、福島・宮城・岩手他では、死者・行方不明者は18000人超だ。
愛する肉親を失い、家を失い、生業を失い、避難地にあり、いまだに悩み苦しむ被災者は数え切れない。

私とわが県は間違いなく「被災地の隣」だ。
だから、出来ることは自分が生きている内はあったことを忘れないこと。
なるべく子供たちに記憶を持たせること。

あの日を忘れない。出来ることはそれくらいしか無いか。

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  1. 2016/03/11(金) 22:17:20|
  2. 店主の日記
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前倒しホワイトデー

きのうのこと、郊外の菓子店に行った。
私が菓子店に行くのはたいてい年に一度である。

数個の菓子を買わねばならない。ぼちぼち諸兄も同じ頃合であろう。
なぜ少し早めに買いに行ったかというと、きのうから手渡すタイミングが始まったからだ。

その日には少し早いこと、また平日日中ということもあり、菓子店にその時の客は私一人だった。
その店の奥様か従業員さんかわからないけれども、私よりずっと若いが落ち着いた女性が出てきて懇切に応対してくれた。

数個のプレゼントを包装完了するには少し時間がかかる。
私は彼女の仕事に支障ない程度の手持無沙汰解消話を始めた。

おれ「寒河江から来たのですが、そこの居酒屋さん、なかなか良さそうですね。たまに通りかかると気になって。」
彼女「ええ、好評のようですよ。木曜定休で、若い方、年配の方、家族連れの方、色んなお客さんが行かれるようです」

おれ「そうですか。今度行ってみよう。地元の行きつけももちろんいいのですが、たまには別のと所も覗いてみたくなるんですよ」
彼女「そうですよね。お客様はお仕事中にお越し下さったのですか?」

おれ「まあ自営業ですから、空いた時間にこうやって来れるわけですよ」
彼女「自営・・・ ひょっとしてご住職様ですか?」

そら来た! そういわれるのはこれで何度目だろう。

おれ「はっはっは! 私はただの商人(あきんど)です」
彼女「そうでしたか。失礼しました」

頭髪が乏しく、短くしているからそう見えるのだろうか。わからない。
煩悩多き凡俗と自覚しているのだが。

私に僧侶の匂いなんてしますか皆様?





  1. 2016/03/09(水) 21:36:54|
  2. 店主の日記
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楽団総会準備会議2016

夜、寒河江・山形を汽車で往復。
片道20数分かかる。だがJR運賃は320円と優しい。

充実の会議と楽しい慰労会となったが、終電なので帰宅は日付をチョイまたぐ。
山形本拠の楽団に身をおくと、なかなか交通が大変だ。




  1. 2016/03/09(水) 20:44:14|
  2. 吹奏楽・音楽
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城輪柵(きのわのさく)跡

きのうの定休日。史跡巡り三週連続。
酒田市西北郊にある、城輪柵を初めて訪れた。寒河江から100Kmほどあった。


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ここも以前から行きたかったところだ。
車やバイクで何度もそばを通りながら、今頃の初訪問となった。

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平安時代の出羽国府跡とみられている。国府。すべては朝廷から見た言葉である。
ここは当時の朝廷にとって、太平洋側の多賀城と並び、東北日本海側の重要なベースだったことだろう。

一説には、出羽(今の秋田・山形県)の蝦夷(えみし:当時の東北地方住民の、中央から見た蔑称。アイヌといった異民族のことではない)は、陸奥北部(今の岩手・青森県)の蝦夷よりも早く平定されたとか。

今の山形県飽海郡の「蝦夷」たちは、立派な国府を「ふーん」などといいながら、あまり苦にもせず見ていたのではないか。
開府は阿倍比羅夫(あべのひらふ)探検のどれくらい後のことなのか。興味は尽きない。



これで東北の国府は、秋田県の払田柵(ほったのさく)、多賀城に次いで、三ヵ所目の見学となった。
あとは岩手・宮城の伊治(これはり)城、桃生(ものう)城、胆沢城、紫波城、そして新潟県の淳足柵(ぬたりのき)。
この辺をじっくり訪れたい。


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城輪柵はこんな所にある。
日々鳥海山を眺め、朝廷から遣わされた役人たちはどんな気持ちだったか。




付き合ってくれた妻は帰宅後言った。
「はっきり言って、今日にしろ先週にしろ、あとから造られた(復元された)ものを見てもあまり感動は無い」

Oh! my God! Oh! my God!

それは当然だろう。
復元されているものを見るのではなく、別のものを感じ、想像を巡らすのが史跡見学というものだ。







  1. 2016/03/07(月) 20:53:45|
  2. 温故知新
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無茶苦茶な夢2016.3

多分マーチングバンドか何かの大会のための遠征旅行なのだろう。
私はホテルにチェックインし、自分の部屋に入って旅荷を解き、ベッドに座ってほっと一息ついた。
その部屋はツインだった。「一人でツインかい。勿体ない」そう思った。

おぼろなのだが、部屋に入る直前までその方面の親しい友人と一緒だったようだ。
彼もまた自分の部屋に行ったのだろう。

で、一息ついたばかりという所へ、大学生くらいの若者3人が車に乗ったまま突然部屋に入ってきた。
この辺、荒唐無稽なのだがさすがは夢。車ごと入ってきたことに私はそんなに驚かない。
男2人女1人という組み合わせだった。

「えー、ここは君たちの部屋に間違いないのかな?」
「ええ、間違いありません。僕たちの部屋です」
「それは失敬」

やれやれ。私は広げた荷物を急いでまとめ、部屋を出た。
するとホテルの広い廊下は先程の連中と同じくらいの若者でごった返している。
私はたまりかねて、一緒にホテルに来たと思える友人に電話した。

「おい、おれの部屋を知らないか?」
「ごめんごめん。2○○じゃなくて3○○のようだ。おれも一緒に行ってみる」

彼と共に自分が入るべき部屋に向かうと、そこはホテルとは全く別棟の近代的で大きな建物だった。
これも荒唐無稽である。

自分の部屋に入るには、なぜかその建物の入口のチケット売場でチケットを買わなければならないらしい。
そういえば昔の駅や映画館と同じ、ガラスに半楕円形の穴の開いた切符売場だ。

「いらっしゃいませ。一緒に部屋を利用する者を上の3枚の絵(写真?)の中から選んで下さい」
変わったホテルである。何が何でも二人で利用しなければならない仕組みになっているらしい。

絵(写真?)を見上げると、A.30歳女性、B.40歳女性、C.50歳女性。
誤解の無いように書くが、ここは風俗店ではない。私にもチケット売場にもそういう意識は全くない。
いや待て待て。夢なんだから誤解もへったくれもないか。

10円出して割箸を買ってからでないと蕎麦が食えない蕎麦屋。
例えて言えばそんな感じか。ここは二人利用が必須のシステムらしい。

私は間髪を入れずにか、一秒くらいは考えたか、即Cを選んだ。
夢なのでその選択の基準も理由もわからない。

自動販売機から飲物が出てくるようなスピードでCの女性が出てきた。夢なので顔もわからない。
しかしこれでやっと泊まれる条件が整ったわけだ。

「では宿泊料のお支払いをお願いします。5千円です」
「はいよ」財布を見ると2千円しか入っていない。
友人に「すまん。3千円貸してくれ」
「はいよ」

借りて5千円を支払ったが思い直し、「すまん。もう七千円、合計で一万円貸してくれ。文無しではしょうがない」
「それはそうだな。では一緒に郵便局をさがそう」
ということで友人と二人だったか、Cも伴って3人でだったか判然としないが、我々はそのホテルチケット売場を離れた。

で、日曜午前6時20分、目が覚めた。







  1. 2016/03/06(日) 07:59:24|
  2. 店主の日記
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北海道病

実現すれば今年で5年連続となる。今夜はその打ち合わせ会だった。
なぜこんなにも彼の地に惹かれるのか。

過去、その道中、青森・岩手県内で台風直撃に遭ったり、道内で大雨や寒さと戦ったりしたこともある。
だが今回は初めて、予め困難が考えられている。

彼の地が微笑んでくれるかどうか。運次第だ。





  1. 2016/03/05(土) 21:01:57|
  2. バイク
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血圧友の会

血圧薬の処方箋をもらいにかかりつけに行ったら、同窓生に遭った。
小・中・高・大、全く同じ学校という、この世にそう多くない縁のある人物だ。

しかし昔からお互い馴染みではあるけれども、小・中の9年間に一度も同じクラスになったことが無く、
高では同じ汽車、同じ通学路を通ったものの、彼は理系クラスで私は文系。
大では学部が違う(巨大なので学部ごとに全く所在地がかけ離れていた)ので姿かたちも見たことが無い。

寒河江は小さな町ではあるが、彼のお子たちと私の子供らは学区が違い、
しかしそれぞれの小学校でお互いの子供らはマーチングバンドクラブに入り、
卒業後もそれぞれ別の一般マーチングバンドに入り・・・

彼も私も何かのご縁で保護者会長を似た時期に務めたりした。
そして時は流れ、子供らは成長し、彼も私もその分齢をとった。

医院の待合室や隣接薬局で話が弾んだ。
別れ際、二人同時に「今度是非飲むべ」。電話番号を交換する。

子供の頃から口をきいていた同窓生とこの齢になってやっとこういうことになる。

彼は某業界で地元ではナンバーワンの会社の社長だ。
お互い頑張って生きてきたし、今も頑張っているし、これからも頑張って生きていくだろう。

こんな時、人生は楽しいと思うし、同窓生は宝と思う。





  1. 2016/03/04(金) 21:28:28|
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一矢③

(つづき)

その高額な解約ルーターの代替として即思いついたのは、
自身一年前から利用し始めたタブレットの、その格安通信会社のルーターを新規契約すること。
そうした場合、月料金は解約したメジャーキャリアの3分の1にも満たない額で済む。

しかし、そのためには1万数千円する新ルータ本体を買わなければならない。
SIMだけ買っても動作確認済のものでないため、残念ながら解約した端末を使うことはできないからだ。

まあ、それも長い目で見れば数カ月で償却することはできるのだが・・・

そこで妙案を思い付いた。
今自分が使っている、月千円にも満たない料金のタブレットを娘に送り、ルータ代わりに使ってもらう事。

これなら新端末を買うこともないし、月々の固定費が一円も増さないで済む。
タブレットがその役に立つ動作確認もしたし。

それもこれも、自分がタブレットをあまり使わないことがわかったからだ。
ネットにしろメールにしろ、ほとんどガラケーとパソコンで済んでいる毎日。

タブレットがあればたまには役に立つこともある。
だが、僅かな不足は我慢し、「もっと、もっと」の生活を反省し、「これでいい」という知足の心、
清廉・質素の生活を目指すべき。そう考えたのだ。




それにしても・・・
一生懸命考え、野放図な出費(固定費)を強いる現代社会に必死に抗っているようでいて、
しかし大局的に見れば、やはりこの現代社会に否応なく飲み込まれている自分に気付く。

恐ろしやIT社会。誰か、目覚めた反乱リーダーが現れないものか。ジョン・コナーのような。
日本人は通信コストについて、非常に寛容で従順であると思う。

私は「蟷螂の斧」であろうと、通信コストがこのままである限り、疑問を呈し続け、抗い続けようと思う。
人の幸せは間違いなく別のところにあると信じている。今の世は、通信コストについては普通でない。

(完)



  1. 2016/03/03(木) 21:33:59|
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一矢②

(つづき)

その娘のスマホ代というのが決まって月8千円強。ルータは月3500円強。
だから月平均11700円と仮定しよう。

すると一年で14万円! たった一人で14万円!
通信費ごときで14万円!
 Oh! my God!
 

確かに大学時代の仕送り+学費とは較ぶべくも無い。
しかし、いつもここで言っている収入に対するそのシェアを考える時、Oh! my God! と天を仰ぐしかない。

いやいや、天を仰ぐだけではなく、何とかしようとずっと考えていた。
その結果、2年縛り違約金も端末割賦残額の一括支払も要らなくなる、きのう3月1日を数カ月前から待っていたわけだ。

情け容赦なく、ショップに解約しに行った。
これでひとまず月当り3500円強、年間で4万3千円近く出費が圧縮される。
助けている娘の年間通信費が14万円から9万円台になるわけだ。

ふっふっふ、ざまあみろ。
(↑これは、長年お世話になっているメジャーキャリアに言っているのではなく、満足の独白)

しかし、ルータを解約したのはいいが、このままでは娘がパソコンによる通信が出来なくなる。

え?「その時はスマホのテザリングを使えばいいだろう」って?
いや、それをやると契約通信量が足りないからルータを別に使っていたのだ。

で、私は考えた。

(もう一回つづく)





  1. 2016/03/02(水) 21:06:14|
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一矢(いっし)①

大学を卒え、そのままメトロポリスで就職し、一年が経とうとしている娘。

家賃、食費、光熱水道、小遣い、貯蓄他、
ぺーぺーの社会人が全ての支出をか細い給料で賄うのはきついだろうと、
バカ親は一年前考えた。

殊に二人の娘の大学在学中の四年間については、等しく家の経済を傾けて臨んだ。
どちらのお宅様でも同じであろう。

しかし社会人になってからまで数万円規模の経済的援助をしては親の沽券に係わるし、もちろん不可能に近い。
また、仮にそんなことをすれば、娘は社会人として、人間として必要な成長が阻害されるだろう。

といってバカ親、最初の一、二年くらいはちょっぴりは助けてやりたい。
ならば・・・

そうだ!親の懐から出し続けてやっている中学卒業以来の携帯代と、
一人暮らし開始時以来のWi-Fiルーターの料金だけは助けてやろうか。

それくらいなら学生時代に出していた月々の仕送り+学費と較べたら十分の一にも満たないだろう。
そうしてやろう。

と決めてこの一年近く実践したが、これはこれでなかなかきつい出費となった。

(つづく)





  1. 2016/03/01(火) 21:13:41|
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聯合艦隊2016.3

死闘。


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  1. 2016/03/01(火) 20:07:57|
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佐藤達也 四代目店主

Author:佐藤達也 四代目店主
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