呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業106周年。店主エッセイが多いかな。

富士見えんツーまとめ3

午前6時過ぎにホテルロビーに小田原城見学希望者集合。全員だった。
歩いて数分の素晴らしい名城址を見学。
そのまま近い小田原駅前に歩き、すき屋、松屋、吉野家と3軒びっしり並んでいる店のどれにしようか悩んでから皆で朝食。

8時半、小田原出発。
来る時は西湘バイパスを使ったので、帰りは小田原厚木道路にしてみた。
入って間もなくのPで休憩と土産買い。

富士は後ろだし丹沢や箱根の向こうだし、今回はもう二度と見ることはできない。
無念。

10:48、圏央道白岡菖蒲P(もうすぐ東北道に合流という地点)でこのツー4度目の給油。
自分は13,2ℓ。寒河江から889Km。 

上河内SAで3度目の休憩と昼食。
13時ちょうど、同1048Km地点で白川中央スマートICから東北道を降りる。

高速料金節約のためにここから寒河江までは全部一般道もしくは無料高速のみ走る。
猪苗代湖の西側を北上、若松市の北から無料高速で喜多方へ。
そして大峠、長井、R287で寒河江という、今年開発した節約ルートである。

若松郊外で私以外みんな5度目の給油。私は無給油で家まで帰れるとふんだ。
ここで14時半。同1,113Km。

あとは米沢市山中の道の駅「田沢」で休憩、更に白鷹町で馬肉を買い、17:50、1240Km、二泊三日の旅全員無事帰還。
めでたしめでたし。

私は即給油。18,73ℓ入った。三日間の合計消費量は65.82ℓ。
平均燃費は18.9Km/ℓ。今回は高速道路の割合がとても多く、よくなかった。

(完)






  1. 2016/09/29(木) 07:41:22|
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富士見えんツーまとめ2

9月3日(土)

午前9時頃から三島大社参拝。立派で広く、素晴らしいお社(やしろ)である。

駅前楽寿園に源を発する、三島中心部を流れる源兵衛川フットパスが素晴らしいから是非歩け。
人工の「三島スカイウオーク」(最近できた長大人道吊り橋)などよりずっとそちらを勧める。

と、前日久しぶりに会った静岡の旧知が強く推すものだから、男5人、駐車場捜しにどえらい苦労をした後訪れてみた。

もちろん悪くはないが、なぜそんなに推すのか理解できなかった。
この程度の自然は、我が郷土には掃いて捨てるほどある。付き合わせた4人に申し訳なかった。

あとは本編に書いた通り。
初訪問の世界遺産「韮山(にらやま)反射炉」とそこでの昼食はいまいち。

湯ヶ島を通り過ぎる時は、同窓生の実家(温泉旅館を止めたと聞いた)がどこだったか、
39年前の記憶を辿ったがもはやわからなかった。
また別の同窓生とお邪魔し、夕食と温泉を馳走になったことがあるのだ。
記憶にはないが、その後泊めてまで頂いたかもしれない。

湯ヶ島から先は多分行ったことが無いと思う。
浄蓮の滝。滝そのものは平凡だったが、滝下のワサビ田とワサビ心太(ところてん)と、全部食えた鮎の塩焼きはよかった。

旧天城トンネル。
数キロのダートを走るのに苦労したが、隧道は雰囲気満点であり、訪れた甲斐のあるものだった。

あとは湯ヶ島まで戻って別県道に逸れ、しばらく山中を激走し、冷川ICから伊豆スカイラインをまた激走、箱根峠に再び戻ってきた。
私も初めてのこのルート、伊豆の大自然の中ばかりを駆け抜ける、実に素晴らしいものだった。
今回のツーで、「走りを楽しむ」という点ではこの区間が最高だったと私は思う。

で、箱根新道で天下の険を下れば夕方。小田原に投宿し、皆で美味い刺身に舌鼓を打った。
この日は韮山辺でツー3度目の給油。寒河江から647Km。私は10.5ℓ。

そしてこの日もまたまたほとんど富士を拝むことができなかった。
雨には降られなかったが、曇りだったのだ。初日と全く同じ。
明日は小田原を後にするばかり。もう富士は見えない。連れたちには気の毒という他無い。

この日の走行距離は180Kmくらい。







  1. 2016/09/24(土) 10:10:35|
  2. バイク
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お導き2

朝日町方面に抜けるべく、山辺の町から走りなれた山道を登り始めた。

すると間もなく左手の道端に看板を見つけた。
昔から気になっている看板だ。急がない道中、ちょっと通り過ぎたところで意を決して引き返し下車。

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なんとなんと!
こんな山中、しかも寒河江からそう遠くない所にかの武田信玄公の大叔父さんの御廟がある!
ぶったまげた。

縁あってこの地に来た信安公は戦で無常を感じ、越前吉崎(なんとついさっき銀幕で見てきた)へ行って、
蓮如上人の下で三年修業し、真宗の奥義を極め再びこの地に帰り庵を結んだと。

Oh!my God!じゃなかった南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
看板から徒歩で30秒も山に入ると

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整備された廟があった。この先は広大な沢地である。

偶然にしては今日のことは出来過ぎだ。
蓮如様親鸞様そして阿弥陀様のお導きではないのか。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏





  1. 2016/09/19(月) 21:33:55|
  2. 店主の日記
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お導き1

P1010395.jpg

誰にでもある人生のあの時この時の悩み苦しみ。
私も3年ほど前に多少苦しんでいる時、本屋ででも見つけたのか、上の本を買って読んだ。
この世の一切は縁である。

なかなかいいことが書いてあるいい本だったといううっすらした記憶があるだけで、
3年という時間は長く、どんな本だったのかもう頭にない。

最近、なんと新聞折込という形でこんなチラシが目に飛び込んできた。↓

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「なぜ生きる100万部突破」、「蓮如上人と吉崎炎上」。すごい内容である。
本当にそれが映画のテーマになり、折込広告までする映画?!
ちょっと信じられないし、そんな映画が作られたことも、自分がそれを観に行くことも、おかしいくらい唐突だ。

今日、観に行ってきた。我が檀那寺は浄土真宗だ。90分間で二、三度泣いた。
また、江戸時代に生きた我が家の先祖は真宗や仏教をよく勉強しており、自分は全く不勉強なことを痛感した。

しかし・・・
映画は蓮如と弟子了顕と福井県吉崎の寺などでほぼ100%。
おれが読んだあの本は、そうではなかったと思うがなー。

映画が終わり、その山形市内のコンプレックス映画館を出ると、同じ屋根の下の目の前に本屋。
その最も見えやすい所に↓

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これでは買うしかないじゃないか。

で、家に帰るにはまだ早い時間なので少しドライブすることにした。
山辺(やまのべ)町から山を越え、朝日町を経て帰ろう。あの山道は昔から大好きだ。

(つづく)





  1. 2016/09/19(月) 21:07:10|
  2. 店主の日記
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富士見えんツー6

カテは「バイク」でいいのかな。「温故知新」にしないと後日検索しにくいかな。
などと考えながら書き始めます。

9月4日(日)。ツーリング最終日早朝。
確か6時過ぎくらいにロビーで待ち合わせると、珍しく全員が揃っている。

フロント早朝番のじいちゃんに
「お城は早朝でも入れますよね?」
と聞くと
「いや、入れませんよ。9時からかな」
「そうなんですか。わかりました」
そんなやりとりをして出発。

宿から歩いて数分の小田原城址へ。誰もが知っている名城である。
6時台だがいくらでも入れた。

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↑新庄城(山形県)や小峰城(福島白河)のように堀は一部しか残っていない。
が、難攻不落の地形は城址を一周して確認した。みんな、考えることは同じである。

ところでホテルフロントのじいちゃんが「城には入れない」と言うのは天守のことなのだろう。
確かに天守オープンは9時と書いてあった。

きっと多くの人が「城」というと「天守」を想起し、イコールなのだろう。
我々プロ(何の?)は「城」と言えば城郭全体を指す。

ところでぞっとする絵を見てほしい。↓

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北条ただ一軍を取り囲む秀吉軍の図である。↑
左下隅に早川の「一夜城」。右上の方には家康の陣。

北条側に海岸の布陣は無いのだが、夥しい連合軍は海上にも布陣している。
なんと水軍は七軍。蟻も漏らさぬとはこのこと。必殺の鬼だ。
いや、鬼も泣く情け容赦ない布陣である。

なまんだぶなまんだぶ






  1. 2016/09/15(木) 20:15:38|
  2. バイク
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富士見えんツー5

浄蓮の滝からもっと伊豆半島を南下。
「伊豆に行ってきたよ」と人に言うなら、ここに行かなければ。

「出たとこ任せ隊」が向かったその場所とはこちら。

P1010291.jpg

旧天城トンネルである。ここが伊豆のエキスであろう。
国道の新トンネル直前から旧道に入ったら即ダート。

ここまで3kmもあったろうか。ビッグバイクにダートはきつかったが、全員無事に登り切る。

P1010294.jpg

雰囲気満点のプレート。右から「天城山隧道」と読める。

我々の伊豆攻めはここまで。あとは山中をひた走って冷川ICからスカイラインに入り激走。
走りに走って再びきのうの箱根峠に出た。

なんとか、一瞬でも富士を見たくて箱根峠まで走ったのだが、ほとんど拝めなかった。
ここから小田原に下れば、もう間近に富士を見ることはできない。

二日この辺を走って、ほとんど雨にも降られず、それでも富士が見えない。
ちょっと考えられない。一体どうしたことか。不思議である。



とにかく小田原のホテルにチェックイン。夕方だ。
この日は一夜城も小田原城もあきらめ、ひとっぷろ浴びて繁華街の居酒屋へ。

北海道に勝るとも劣らない刺身、特にカツオとウマヅラに舌鼓を打つ。
小田原の魚、大したものである。




それにしても三島も小田原も、街は人、特に若者で溢れていたな。
昔からだが寒河江とはえらい違いだ。

そりゃそうだ。人口構成(高齢化率)だけでなく、そもそも人口そのものに大きな差がある。




  1. 2016/09/13(火) 22:09:39|
  2. バイク
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富士見えんツー4

日々、また昨日頂いた多大な拍手に厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。



9月3日(土)午前9時頃。ツーリング二日目の朝は三島大社から。何十年ぶりの参拝である。

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向かって右が箱根方面、左が三島中心部、うしろが伊豆。昔、いつもここを通って箱根を登り下りした。

このあと、バイクの駐車に大変な苦労をし、えらく暑い中を市内を流れる川のフットパス散策。
地元の友人にうんと勧められての散策だったが、正直言っていまいちであり、誘った私は仲間たちに申し訳なく思った。

さて「出たとこ任せツーリングクラブ」は、協議により韮山(にらやま)にある重要文化財「反射炉」へ。
大社から40~50分くらいだったろうか。

P1010269.jpg

三島から伊豆の懐に入っていったわけだ。
ここは昔から文化財だったが、私は当時興味を持てず、今回が初訪問である。

なんと昨年世界遺産に登録されたそうで。が、正直言って大きなインパクトはない。
隣接のレストランで、ごく普通の昼食を摂る。

出たとこ任せクラブは、更なる行先をこの昼食中に決めた。
更に伊豆の奥へ。修禅寺・湯ヶ島を越え、まずはここへ。

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誇張でなく、バイクを走らせている間中ずっと石川さゆりさんの歌が聞こえていた。

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踊り子に

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滝に

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ワサビ田

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とどめにワサビ心太を食べてみた。心太そのものにワサビ味が付いており、更に器の右上に盛られたワサビ漬。
うまかった。
みんなはわさびソフトを食べていたが、これなら悔しくない。

さ、またここで次の行き先が決まった。
更に伊豆の奥懐へ。




  1. 2016/09/13(火) 08:43:10|
  2. バイク
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城址訪問三連発in最上①

前回の三連発は身近な寒河江市内の日田(にった)、隣の天童市蔵増(くらぞう)、同市高擶(たかたま)と、
有意義ではあったが、正直やや地味でもあった。

今日はいずれも県内最上地方の
①清水城址(大蔵村)
②鮭延城址(真室川町)
③金山城址(金山町)
を訪れた。

全て山城であり、足での登山が必要だったのが②と③。

②③は地味目だったが、①はエキサイティングだった。
また、③には城址以外の巨大なおまけがあった。






  1. 2016/09/11(日) 19:03:27|
  2. 温故知新
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富士見えんツー3

初日、西湘バイパスを出、そのまま進もうとした湯本からの国道1号(駅伝5区)は大渋滞だった。
早く芦ノ湖畔の元箱根に行きたかった我々は、とても残念ではあるが渋滞を避けて旧1号を使って箱根を登った。

畑宿部落、七曲、お玉が池、何もかもが懐かしい。

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で、元箱根でしかるべき時間を過ごした我々はもっと箱根を楽しむべく、今度は1号を使って湯本へ下った。
今回初めて駅伝コースを走ったわけだ。
(元箱根の贔屓の寄木細工の店は閉まっていた。非常に残念。)

更にもう一度元箱根の先の箱根峠に至るべく、再びの登りは昔有料だった「箱根新道」を選んだ。
箱根湯本から元箱根・箱根峠に至るには、
国道1号、旧1号、箱根新道、ターンパイクという、4通りものルートが選べる。
なんと贅沢なエリアか。

が、新道を登り始めて間もなく、車列がピタッと止まった。
どうしたんだ?前方を見ると煙を吐いて止まってしまった車両が見える。
アクシデントだ。さすがは天下の険。

我々は新道をあきらめ、下って再び1号を登って箱根峠に出た。ここで私だけ連れたちと一旦別れる。
連れたちは一足先に宿のある熱海へ、私はその前に箱根を下り、久闊を叙したい友人がいた。




ビッグバイクによる箱根走行は、当然全般にわたって楽勝だった。そのパワーは余りある。
400ccのバイクだってほとんど苦労はないのだから当たり前である。

というより、原付で箱根を登るのが無謀で愚かだったということだ。

それにしても、幸い雨は降らないが曇りで富士山がさっぱり見えない。
箱根まで来て見えなくては涙が出る。




  1. 2016/09/08(木) 22:56:40|
  2. バイク
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富士見えんツー2

ミニトレ

ヤマハGT50。愛称「ミニトレ」。40年前の2ストバイクだ。免許のある人は80ccも選ぶことができた。
出力は4馬力。ちなみに今の愛馬はちょうど100馬力。
39年前、静岡県三島でのこと。このちっこいのが私のバイク人生の始まりだった。

毎月、仕送り受取りから3週間も経つと決まって食うや食わずの懐具合となった。
仕送り直前の土日は毎月のようにミニトレで箱根を超え、神奈川県藤沢の叔母の家に転がり込んだ。
飯を食わせてもらうためでもあり、年下の従弟たちと遊ぶためでもあった。

だが天下の険箱根を50ccで登るのはとてもきつかった。
非力なミニトレは4速だったろうか、登りの多くの場所で2速まで落とさざるをえなかった。
その時の速度は冗談抜きで15Km/h程度だった。 

荷を積んだトラックよりも遅かったろう。もちろん乗用車たちとは全く速度が合わず、危険だった。
昔も今も箱根山中の国道1号はほとんど片側一車線なのだ。




さて三島で一年過ごした後は東京で三年暮らし、その間にバイクは125cc、250cc、400ccと大きくなっていった。
美しいワインディングロードに魅せられた私は、東京に移ってからも箱根を走り続けた。

さすがに250ccあたりからはあまり悲惨な思いはせずに走れるようになった。
そして卒業後数十年。かの地は遠く、バイクで箱根を走ることは叶わなかった。

が17年前、遂にビッグバイクを手に入れた私は、ずっとその機会を待っていた。






  1. 2016/09/06(火) 23:11:53|
  2. バイク
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プロフィール

佐藤達也 四代目店主

Author:佐藤達也 四代目店主
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