呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業106周年。店主エッセイが多いかな。

東京物語①

自分の子供を初めて手元から離したのは5年8カ月ほど前。
長女が仙台の大学に進学し、アパートで独り暮らしを始めた時だった。
あの頃は私もまだギリギリ40代だったな。

質素で小さな1Kにできる限りの装備をしてやり、引越しが完了し、
「それじゃ安全と健康に十分気を付けてな。大学頑張れよ」
と言って娘のアパートから帰ってくる時は胸が潰れそうだった。

最初の子供よりも、二番目以降の子供を育てる時はずっと落ち着いて様々な局面に当れると言う。
確かに心当たりはたくさんあった。
しかし、やはり大学進学に伴い、次女を東京のアパートに初めておいてきた時も、長女の時と気持ちは同じだった。

いや、長女の時よりも心配だったかもしれない。
次女の進学は大震災直後の混乱のさなかだったからだ。
また、仙台と違い東京はおいそれと行ける距離ではない。

大学名物の日本武道館での入学式は中止。
しかし開講ギリギリのタイミングで奇跡的に東北道が一般車も通行できるようになり、
燃料の入っていない車しか借りれないレンタカーはキャンセルするしかなかったが、

知人がハイエースを、また別の知人が東京往復に十分な軽油を提供してくれ、
次女の引越しは前日ギリギリに学部開講式に間に合った。

あの頃の東日本は多くの事象が混乱を極めており、引越しの実現は奇跡というしかなかった。
知人たちが神様仏様になってくれたのだ。

折しも都内配水の浄水場からセシウムとストロンチウムが検出され、あの頃の東京は水パニックでもあった。
ハイエースに寒河江の水をたっぷり入れたポリタンクも積んで行ったっけ。

是非ともの用があり、きのう今日と東京に行ってきた。
自分自身が三年住んだ他、幼い頃から今に至るまで、一体何百回上京したことか。

(相当つづく)






  1. 2014/11/24(月) 21:50:02|
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