呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業106周年。店主エッセイが多いかな。

東京物語③

我が家は大正元年から呉服屋を始めた。初代は教師あがりの曽祖父である。
当社には初代から続く習慣・伝統が今に至るまで相当残っている。

呉服や和装品の仕入のほとんどは創業以来東京日本橋から。
これが今も昔も変わりない我が社の伝統の一つ。

呉服とその仕入と言えば京都を連想する方が少なくないと思う。
もちろんそれは間違いではない。

京都は西陣織や京染といった、我が国の代表的な呉服の産地である。
問屋はもちろんたくさんあるし、彼の地は人口も集積されている。

だが、流通と情報の規模の点では今も昔も東京は呉服・和装品の大拠点なのだ。
首都であり、圏人口は関西を大幅に上回り、情報は濃く深く早く、なんといっても京都より圧倒的に近い。
「ここは京都の方がいい」と判断した時はもちろん出向くが、私は前三代の選択を引き継いだ。



前置きが長くなったが、私の上京は未就学の頃から始まった。
国鉄の急行や特急に乗り、母に連れられて幾度問屋回りをしたことか。

昭和30年代後半から40年頃にかけて。
のどかな時代であり、今と違って日帰りなど不可能だったので、
取引問屋さんの宿直室(当時はあった)に泊めてもらったりもした。

ど田舎の寒河江とは全く違う世界と、幼い私は驚きを以て接した。

アスファルト舗装の道路を走る自動車。数多い信号機。夥しい人ごみ。
寒河江ではお目にかかれない、ビルごとの美しいネオンサイン。

隙間なく立ち並ぶ中・高層ビルヂング。夜泣きそば。
売買が交錯する、熱気に溢れ、反物山積みの問屋の広い座売り。

ネクタイをしめ、ワイシャツの上に売り出し用のはっぴを着た社員たち。
業界独特の東京風関西弁。化粧し、きれいな洋服を着たパーマネントの女性。

絵本でしか見たことが無かった東京タワーの本物。
なんと道路の下には轟音を立てて地下鉄が走る。

多分、幼い私は消化も消化不良も無く、ただただポカンと口を開けて東京を受け入れていたのだと思う。
本当に、いつも暮らしている寒河江とは異次元の世界だったのだ。
東京には寒河江に無いもののオンパレード。


あれから半世紀。
今は東京にも寒河江にも存在するものがたくさんある。

情報速度にも絶望的な隔たりがあったが、インターネットによってその格差も劇的に縮小された。
私にとっても誰にとっても、今の東京はもはや昔の東京とは違うのだ。

だが、私の脳には四つの東京がある。
幼い頃の東京。学生時代の東京。今の東京。そして半世紀通い続けた合計の東京。

今、その東京に次女が暮らしている。
巧い表現が見つけられないが、私にとってこれはすごいことなのである。

(つづく)






  1. 2014/11/26(水) 23:06:33|
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