呉服・和装・印伝 山森呉服店掲示板

お陰様で創業106周年。店主エッセイが多いかな。

山野辺城址

1日昼、生パスタを堪能してから向かったのが、山辺(やまのべ)町にある山野辺城址。
寒河江・山辺間、先日は歩いて行ったから2時間以上もかかったが、車なら15分だ。

ウオーキングの際に思い立ち、この度初訪問を果たした。
例によって城址は自治体の中心校(山辺小学校)になっている。

CIMG0039.jpg

CIMG0040.jpg

せめて絵図を

CIMG0043 - コピー

以下、案内板の解説から抜粋。


山野辺城は、平安時代の奥羽地方戦乱(前九年の役など)時に須賀川山辺氏が領有・築城した。
室町時代になると氏の活躍が記録にも見られ、山形最上氏の配下としても信頼に応える大きな働きをした。

古図によると当時の城郭は東西73m、南北102mの台地に置き、
その周囲の東西210m、南北327mの丘陵地を副郭とする、輪郭式の平山城だったと推測される。

西の出羽丘陵から東の村山盆地に向かって突き出た丘陵の舌端部を利用した絶好立地の中世城郭だった。
(この説明は地元の我々ならありありと思い描ける:筆者)


慶長6年(1601年)に城主になった山野辺義忠は、22年の治世間に多くの業績を成し、
最上宗家の当主として期待されたほどの人物で、
(山形城主最上家の当主として?これはよく理解できない:筆者)
特に城池と城下町の整備に力を注いだ。

この城下町は近世のものなので平凡な縄張りではあるが、随所に工夫が見られ、
周囲に三の堀をめぐらせて城池を拡張し、西側は山から見下ろされるので四の堀を造り、
北西部には出丸を設けて防備を固めている。
(今わかった!この出丸が個人的に謎だった砦「高楯城」か。
 いわくありげな佇まいの謎が解けた。今は神社になっている。:筆者)


道路は直線状ではあるが微妙に曲がって見通しを妨げ、
各道路間は三叉路で連絡されて直進できないようになっており、
各街道の出入口には寺院を配し、防御陣地にも使えるようになっている。
(この町は今歩いても本当にそれがよくわかる。ますます面白い!:筆者)

しかし元和(げんな)8年(1622年)、最上氏の左遷によって城は破壊された。
(改易だろう。この頃は同じようなことが日本中で起きていたはず。
 五百数十年の歴史を持つ城が一瞬でパー。徳川さんはすごいと言うしかない:筆者)




以上。
うーむ。面白かったー。また山辺を歩きたい。





  1. 2015/06/04(木) 15:59:18|
  2. 店主の日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<腰痛 | ホーム | 絶佳の風味と眺望>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kimonoinden.blog43.fc2.com/tb.php/4444-2d1ea196
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

佐藤達也 四代目店主

Author:佐藤達也 四代目店主
呉服・和装・印伝専門店

カテゴリー

バロメーター

最近の記事

最近のコメント

更新カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

ここの歴史